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新人ビジネス・リーダーいろは講;第38話:『雑魚』
『雑魚(ザコ)』というのは、ご承知のように小魚のことを言います。
小物のことでもあります。
よく「プロ」とか「アマ」とか言いますが、本当の意味を知っておきましょうか・・・。
まず「プロ」というのは、漢字で「玄人」と書きます。
「玄人」は「苦労した人」を早口で何度か言いますと「クロウト」と聞えますから、まさ
にピッタリの意味です。
もちろん、ただ苦労しただけでは「プロ」ではありません。
その前のステップをきちんと這い上がってきている人なのです。
「プロ(玄人)」というのは、かつては「アマ」であったことが必要なのです。
「アマ」というのは、漢字で「素人」と書きます。
「素人」というのも、同様に「知ろうとする人」を早口で何回も唱えますと「シロウト」
になります。
「プロ」になる人は、すなわち苦労した人はみんな、「シロウト」からスタートしており
ます。
「プロ」、すなわち「玄人」を目指す人は、多くの知識や技能・技術を体得してゆく人です。
「大きな実現可能な正しい夢」を持っている人です。
こんな人のことを「ロマンをもった人」、そう「ロマンチスト」と呼びます。
誰でも「プロ」になる素養はあります。
ただ「大きな実現可能な正しい夢」を持つに至らないため、能力を活かせず人生を終わる
人が多くいます。
最初の「決意」をすれば、その「夢」の実現のために「知らないこと」「出来ないこと」
を、知ったり、出来るようになるため努力をします。
「努力」という言葉も、めったに使うべきではありません。
読んで字のごとく、
「女のマタに力を入れて、それよりもっと力を入れろ!」
と訳すなら、女性がお産をする時以上に苦しいことをやることとなります。
「プロ」は、目標を何としてでもクリアするために貪欲に「知ろうと」します。
そして、自分のものにするために失敗を繰り返しながら苦しくてもやらねばならないこと
をやり続けます。
はた目にも凄いエネルギーを感じます。
どうしても、先輩や上司も手を差し伸べたくなります。
ましてや、同じプロセスを経てきた先輩などは、自分の生き写しを見るような感じで、
ホノボノとした気持ちになります。
だから、心底から手助けしようとします。
「アマ」である「知ろうとする人」はとにかく素直です。
多くの人から「学ぼう」とします。
「学ぶ」は、「まねぶ」そして「まねる」が元言葉です。
「まねる」ことには力みがありません。早く形ができあがるものです。
しかし「アマ」にもならず、もちろん、「プロ」にもなれない人には共通することがあり
ます。
成功したり、うまくいっている人のことを妬みます。
週刊誌のスキャンダラスな記事が最もよく読まれる理由もその妬みにあります。
有名人のアラ探しをして、宝も物を拾ったようになる人のほとんどは「プロ」にも「アマ」
にもなれない人です。
大変に残念ですが、努力を放棄した人は、とかく同じ類の者だけで集まり、一人では何も
できないのに集団になると元気づきます。
そしてお互いに励ますのではなく、「傷の舐め合い」をします。
自分たちがうまくいかない原因をすべて外に向けます。
「人のせい」「社会のせい」「会社のせい」「上司・先輩のせい」、はたまた「親のせい」
にまでなってしまいます(^^;
悪いのは全部、自分以外です。
このような人達を私は『雑魚』と呼びます。
もちろん軽べつした呼び方ですから、お叱りを受けるでしょう。
かなりひんしゅくを買うことは覚悟です。
しかし決して差別している呼び方ではありません。
五体満足なのに「不平・不満・グチ」を言う人の言は、能力の無い者の「ホザキ」だと
思うのです。
力があれば人を説得できます。
人を動かすことができます。
「お金のある人は、無い人や困って入る人に施すこと」ができます。
同じように能力のある人、幸せな人は「人に施し」をすることができるのです。
「力の無い人」や「困っている人」が、「施し」などできっこないのです。
だから、オウムなどはおかしいのです!
「他力本願」「世の中をマイナスに考え」「集団でしか、ことが成せず」にいるような
人を『雑魚』と私は呼びます。
ここで読むのを止めないで下さい!
魚の世界では早く、「幼魚」から「成魚」にならなければ、大きな魚に一気に呑み込まれ
てしまいます。
大きく見せるために「樹上開花(中国戦略書三十六計)」をします。
当然です!
自然の摂理でDNAがそうしているのでしょう!?
人間は大人の感覚を持つようになったら、あらゆることが「自己責任」となります。
もちろん群れるなと!は言っておりません。
自分で考え、自分で責任を取る行動をすべきです。
そこに手伝ってくれる人や共鳴して一緒に行動を共にする人がいることは勇気を持つこと
ができます。
今、自分がどんな「気分」「感情」でどんな人たちと一緒にいるのか見渡して下さい。
お互い「叱咤激励」しているなら素晴らしい仲間と歩んでいます。
でも「傷の舐め合い」「グチばっかり」「人の悪口ばかり」なら、怖がらないで、勇気を
持って違った場所に出て来て下さい。
必ず、手を差し出してくれる素晴らしい仲間がいます!
ありがとうございました。
いわき経営コンサルタント事務所ホームページ
http://www.imcfujimoto.net/
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第37話:『挨拶』
『挨拶』についてお話しさせていただきます。
非常に重要なことなのです。
なぜかといますと世の中で一応うまくいっている人と、そうでない苦労の多い人とでは
どこが違うか考えて見れば、その意味が分ってきます。
『挨拶』の「挨」とは、心を開くという意味があります。
そして「拶」は、相手に迫るという意味があります。
ですから『挨拶』とは自分のことをオープンにし、素直になって、色々な人に接してゆく
ことと解することができるのではないでしょうか。
私は、多くの方々とお付き合いさせていだく仕事をしております。
もちろんスーパーマーケットなどの小売業におられる皆さんも不特定多数のお客様と接す
る機会がありますから、人との接する数では圧倒的に今の私に比べれば多いといわれても
結構でしょう。
私ははじめての人と一度会う機会ができたら、その後もズッと手紙やハガキでの交際の
続く方が相当います。
もちろん、たまに会うことも意外と多くあります。
残念ながら多くの人は、一回ポッキリの出会いがほとんどではないでしょうか!?
その理由はもちろんあなたにあります。その人と今後もお付き合いしてゆきたいとういう
願望があるかないかですね・・・!?
出会いを大切にできない人は、いつも心の中で会う人と「対等でありたい」というエゴが
働くからだと思います。
「自分の方が偉く、優位でありたい」と思ったり、「その人に迎合なんかしたくない」と
か「負けたくない」とか、不思議なくらい間違った人間観を持っているからではないで
しょうか!?
吉川英治さんは、『人皆我師』とおっしゃっています。
禅宗の大家の道元禅師は、『脚下照顧』とおっしゃています。
どちらも
「良く考えなさい、世の中は自分より優る人ばかりいますよ!もっと素直に周囲の人から
いっぱい学びなさい!」
と言っておられるのだと思います。
『挨拶』の基本は、「多くの人から学ぶぼうとすること」でしょう。
そのためには、「一期一会」を大切にし、その時、その時に会う人と良好な関係になるべ
く「笑顔」で「先手」で「こちら」から「進んで」「言葉」を「交わし」にゆくことだろ
うと思います。
はじめて会ったその時から、もしやすると生涯の友や師にめぐりあうことにもなるのです。
そのように出会った人が恐らく、不思議なくらい自分の困っている時、手を差し延べて
くれるものです。
もしくは、その人がもっと多くの人を紹介してくれます。
そして知らず知らずに沢山の友人、人生の師を持つことができるようになります。
『挨拶』って、どう考えても「コストがゼロ」なんですね!?
コストがゼロで、多くの人脈という財産を持つことができるということは、コスト分の
財産で考えたら「無限大の価値」となります。
このことを「御利益〈ごりやく〉」と言います。
残念ながらごくたまに、久しぶりに出会っても「知っていて、知らない振りをする人」が
いますね(^^;
こちらから「こんにちは!」って言おうと思うのですが、スーっとあっちを向いてしまう
人がいるのです。
恐らく、自分の好き嫌いで人を区別しているのでしょうか?
もしくは恥ずかしいのでしょうか?
わかりませんが、他の人に対してもそうなんじゃないかなと思います。
もし何かあったら、どんな人に助けてもらえるんでしょう?
こんな人に限ってうまくいかない時、「他人のせい」「社会のせい」などの言い訳をする
ことを見受けることが多々あります。
また、こんな人ほど「差別意識」が高いのにも驚かされます。
以前、あるスーパーマーケットでの店舗クリニックの時でしたが、入社してまだ数年の
一般社員が私に
「うちの部長はオレに挨拶をしないんです!」
なんて不平不満を言ったのです。
もちろん、その人はまもなくして退職しましたが・・・。
彼は、自分から先手で『挨拶』をしない新人でした。
優秀な人でしたが・・・。
おかしな社会的に認められるはずのない社外の組織に入り、仕事そっちのけで、その組織
が勧める物品を売ろうとしました。
そう『ネットワーク・ビジネス』=『マルチ商法』に入ってしまったのです。
本当に残念でなりません(^^;
そのために職場で浮き上がってしまいました。
もちろん本人は、そのことが解りません。
彼はますます昂じてゆきました。
職場の上司や同僚など周囲の人が「オレに挨拶をしない! なんてヤツラだ!」と勘違い
するようになりました。
自分の能力を発揮する、能力を磨くために多くの先輩や上司や師に出会うことがなければ
「花開く」に至りません。
『挨拶』は、「先手」で「グッと接近して」やって見て下さい。
保証します!
そんなに遠くない将来、「良かった」と心から思える時が来ます。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第36話:『出会い』
『出会い』、『一期一会』という言葉についてお話させていただきます。
皆さんは、今までの人生でどれくらい貴重な『出会い』がありましたでしょうか?
もちろん、いっぱいおありだとは思います。
私事で申し訳けないのですが、私の素晴らしい『出会い』の話をさせていただきます。
私が社会人となった第一番目の会社での『出会い』の話です。
富士通という当時コンピューター・メーカーでは日本一の会社でした。
私が配属された部署には、学者になってもおかしくない人達がいっぱい周囲におりました。
ですから、私にとっては毎日が啓発させてもらえる人との『出会い』ばかりでした。
特にその中でも、ある先輩との『出会い』は、私の人生観を変えるものでした。
もちろん、人間観をも変えていただくものでした。
彼は、日本の最高学府の理学部数学科の修士過程を修了した人でした。
非常にユニークな人でした。
趣味と実益を兼ねて競馬の予想を得意にされておりました。
有名競馬新聞の予想コラム、常連執筆者でもあり、そこからアルバイト料を稼いでいる
人でした。
そのアルバイト料の方が、本業の月給よりも多いんですから・・・。
彼は合気道四段、剣道三段、将棋四段、囲碁五段と、まあすごい多趣味の持ち主でもあり
ました。
小説も書いておられましたし、ピアノ、ギターも玄人はだしでした。
世の中には、こんな人がいるのかと思われるでしょうが本当に実在するのです。
私にとっては、ただただ憧れと尊敬を通り越したような人でした。
私は、彼から基礎数学を教えていただきました。
苦手だった数学を本当に上手に教えてくれました。
おかげで数学の面白さを知り、人並みか、それ以上の理解をすることができました。
もちろん、時には厳しく教えていただきました。
しかし振返ると本当に暖かい教え方でした。
いつも、深く追及してゆくクセをつけるように導いてくれるのでした。
いつしか、数学にのめり込むようになっていた自分を発見することができました。
心から彼を尊敬し、いつしか恩返しのできることがあればと思うようになりました。
そんなある日、彼がこう言いました。
「藤本くん!人から受けた恩を普通の人は、恩を与えた人に返そうとするよね?でも人類
生成発展の理っていうのがあってねぇ!
受けた恩は次に続く後輩・後進に伝えてゆくことだけで恩返しをしているんだよ!」
「もし君が、数学を教わったことやいろいろ奢ってもらったと僕に恩を感じるとしたら、
今度は自分の持っているすべてを後輩や後進のために放出するんだよ。それが、僕に
取って一番うれしいことなんだぁ~(^o^)」
「得たものを放そうとしない、取られたくないといった気持ちを、残念ながら普通の人は
持つってしまうんだねぇ。
でもそれでは器は大きくならないよね!?コップにいっぱい入った水と同じくらいの
量の水をそのコップに入れようとするなら、どうすればいいと思う?」
「答えは簡単なんだよねぇ!コップの中にある水を全部、投げ出せばいいんだよねぇ。
そうすれば新しい水をまた入れることができる・・・(^^)」
私はあの時、体中に電気が走るような身震るいする感動を覚えました。
あの時から、本当に私の人生観は変り、生きざまが変ってゆきました。
仏教の教えに「布施行」というのがあります。
まさに自分の得た知識や経験を後輩・後進に伝えてゆくことこそ「布施行」ではないで
しょうか!?
ヘンテコリンな新興宗教で、出家の時、全財産を宗教団体に布施する(実際には没収され
るだけ)ことが最高の美徳とすることが、どれほど間違っているかわかるでしょう。
お陰様で、なんとか今まで彼の教えに少しでも近づくようにやってこられたように思います。
「学んで足らざるを知り、教えて至らざるを知る」
ということわざ通り、ますます、自分の未熟さと学ぶことの大切さを理解できるように
なりました。
「教えられ」、そして「教える」関係を継続しつづけることを念頭において生きてゆきま
すと、不思議なくらい多くの素晴らしい『出会い』があります。
多くの師と仰げる方々との『出会い』と、その後の『お尽き合い』によって、私は「私の
知らないことを知っている人」「私のできないことのできる人」といった人脈が増えて
ゆきました。
ご紹介したその素晴らしい先輩との『出会い』が、私にとって人生の転機になったことは
間違いありません。
『一期一会』という言葉は、『出会い』による発見・救い・縁(えにし)のあることを
示唆しているようです。
今回、新しく知り合った仲間を幾末永く大切にしていただきたいと思います。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第35話:『得手に帆をかける』
『得手に帆をかける』をお話します。
中国での訓練の時、高度海抜200ftで飛びました・・・日本では完全に航空法違反
です(^^;
『得手に帆をかける』ということについてお話します。
『得手』というのは「得意なこと」です。
『帆をかける』とは、「そのことに徹底する」「そのことをもっと伸ばす」というふうに
理解しましょう。
人間は「わかっちゃいるけど・・・、やめられない」ことが随分あるはずです。
また、「不得意」「不得手」なことを直すことはなかなかできません。
なぜなら自分自身を変身させるためには、よほどの覚悟をしなければなりませんし、並み
大抵でない努力を強いられるからです。
元来、人は「イヤなこと」には興味を持ちません。
なかなか、嫌なことには「好き」にはなれません。
ですから前回、お話しましたが、『好奇心』をもっと持つことにつながるようにしてゆく
基本的態度は、自分の長所や得意なことに気づき、そのことにもっと人生の時間を費やす
ことなのです!
「好きこそ物の上手なれ」のことわざの通り、『得手』なことは、誰でも「好き」になり
ます。
これが、また、ますます上達に拍車をかけます。
「集中力」も一段と飛躍します。
「そんなこと言ったって、自分の希望とは違う部署に回されたんだから、好きになれとは
・・・?」という人がいます。
たとえば、「僕は、コンピューターが好きなのにシステム課に配属してもらえなかった!」
などと文句を言う人がいます。
しかし、こんな人にはチョット苦言ですが言わせていただきます。
「それじゃ~、あなたは何ができるんですか?」
「コンピュータをいじるのが好きならば、仕事を終えてカラオケや飲みに行かないで、
家でコンピューターをやればいいのです。
会社は、あなたに娯楽施設を提供するために配属するのではないのです!」
会社では、システム設計と開発が「好き」で、そのことを実際に「設計・開発できる」人
でなければシステム課には配属しません!
というのは、あなたが会社の現場のことに本当に精通している人でなくてはできないこと
だからです。
本当は現場の仕事が好きで好きでたまらない人で、なんとか改善や改革をしたい。
そのためにコンピューター・システムを利用したいと考える人なら本物の仕事ができます。
なおかつ、コンピューターの知識と経験があり、そして「好き」で開発したソフトの利用
率を向上させるために現場とのコミュニケーションを『得手』とするならば、あなたは
最適者です。
少々「知っている」、「できる」からと言って『得手』とは言えません!
また「今の仕事がどうも巧くいかないから」とか、「なんとなくやりたくない」から、
別の仕事が良く見えたりもします。
「たぶん、あれならできるや~」とか「あれなら、好きになれるはず~」などと思う「逃
げ」の仕事をする人や自信のない人ほど、案外、この傾向があります。
傾向としてあります。
ですから『得手』の勘違いをします。
『得手』とは「知る」「わかる」を卒業して、「できる」「できた」の域に入っていること
が前提条件です。
「好き」だけではダメなのです。
『得手』であるなら、その事について誰よりも勉強していること、体系だてて知識や経験
を整理できることができているはずです。
『得手』であるなら、そのことに関して「非凡」であるはずです。
とりもなさず『プロ』を目指していることです。
中途半端さを『得手』とは言いません。
厳しいことを言うかもしれませんが、あなたが『プロ』なら・・・、たとえば販売業では
「販売士」の資格程度の知識があって当たり前です。飲食業なら「調理師・栄養士」の
資格程度の知識があって当たり前です。
『コンピューターのプロ』と自負したいなら、「情報処理技術者試験」の資格程度の体系
だった知識があって当たり前です。
ダメな人は「仕事が忙しくて・・・」と言い訳します。
何をホザいているんですか!
「好き」なら万障繰り合せて、なんとしてでも時間をやり繰りしますよ!
甘い誘惑にも負けませんよ!
『誇り』をもって仕事をし、「知らない」、「できない」を『恥』とする精神を『プロ』
なら持ちます。
そのための努力は、他人から見れば厳しく見えますが、自分ではそうでありません。
だから、楽に目的を果たします。
『得手に帆をかける』ことこそ『プロ』、すなわち『玄人(苦労した人)』への道ですが
「泣き言」「言い訳」は無用です。
『辛い』ことに一本筋を貫けば、『幸い』に変ります。
「風と波にのる帆船」はスイスイと気持ちいいものです。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第34話:『コツどころ』
~弘法大師が詠んだ「いろは歌」を使ってビジネス社会で多くの成功体験を積むために~
私は飛行機のパイロット免許を持っております。
飛行機の操縦というのは両手・両足を使って、3次元の空間を思ったとおり飛べるように
ならなくてはなりません。
訓練の最初は地上走行です。
まず真っ直ぐに地上を走行する・・・が科せられるのですが、それができるようになると
自由に曲線を描いて曲がることをさせられます。
とはいっても、やはり飛行場にあるTaxingーWayと呼ぶ黄色線や滑走路から黄色
線に沿って出る訓練が主です。
初心者のうちは、どうしても自動車に慣れているせいか操縦桿(セスナなどはハンドルに
似ております)を操作して曲がろうとしてしまうのです(^^;
しかし、いくら操縦桿を動かしても飛行機は曲がりません。
両足つま先にあるラダーという方向舵を使わなくてはなりません。
ラダーというのは、自動車でいいますとやや大きめのアクセル・ペダルのような形をして
おります。
足のかかとを床に付けて、つま先でラダー右側を踏みますと逆の左足のラダーペダルは
手前に来ます。
左右が逆の動くように設計されています。
右に曲がりたければ、右足を前に突き出します。
左足を突き出しますと右足のラダーが手前に来て、飛行機は左に曲がろうとします。
両足のラダーには、ブレーキもついています。
ブレーキは、ラダーのてっぺんを左右同時に踏みますと飛行機全体が止まろうとします。
片方のラダー・ブレーキを踏みますと、踏んだ方に飛行機が急回転しようとします。
カーブを曲がるとき低速(基本的にはパワーをオフ;自動車ではアクセルを踏まない状態)
にしてラダー・ブレーキを踏まなければなりません。
ディスク・ブレーキがダメになるからです。
自動車ですとアクセルを外さなければブレーキを掛けることができないようになっています。
飛行機は、意識してパワーを落としてから、ブレーキをかけます。
地上走行は、飛行場では黄色線に沿ってタキシングすることが決まっています。
今度、飛行機に乗られる時には、飛行場の線をご覧ください!
たくさんのいろいろな線、実線、点線、色別にルールが決められています。
滑走路の中心線は、白の点線となっています。
最初は、滑走路の白点線で行ったり来たりのタキシング訓練を受けますが、少し慣れてき
たら、滑走路外の黄色い線の上をタキシングさせられます。
セスナのような主車輪が後ろの2本、前に小さな前輪が1個のような後輪式飛行機では、
前輪がピタっと線に沿ってタキシングできるかどうか?
また止めるときには、ピタッと決められた位置に前輪が止まるか? がチェックされます。
こればかりさせられると飛行機を操縦したくなくなりますので、教官も心得たもので途中
から上空に行きます。
上空に行きますと、これまた基本を徹底的に訓練させられます。
これがなかなかうまくゆかないのですが、・・・コツをつかめば、「なんじゃぁ~こんな
もんかぁ~!」 となるのです。
が・・・、私の習った意地悪なクソッタレ教官(あれれ・・・私としたことが(^^; )は
それを教えてくれません。
特に私の日本で最初に出会った意地悪教官がそうでした。
飛行時間1万5千時間を自慢する職人タイプで、
「だから高齢訓練者はダメなんだなぁ~!」
なんて・・・ぬかし上がる!・・・・(あれれ、私としたことが・・・(^^; )
米国の教官に習えば、一発でコツを教えてくれます。
日本での自家用パイロットが育たない原因はこの辺にありそうです。
ただ・・・、もちろん米国に行けば簡単かというと・・・一応、教官の話している英語が
聞き取れ、理解できなくてはなりませんので・・・訓練される人によっては同じであるこ
とも・・・(^^;
空の上での基本と言いますと、第1番目は水平直線飛行です。
書いて字のごとく、水平に、まっすぐ飛ぶことなのです。
空の上で飛んでいる飛行機を想像していただくのに、私は氷上と同じだとお話します。
飛行機は空の上を滑っています。
飛行機が少しでも前のめりになりますと、スキーで滑り落ちるのと同じようになります。
もし左に傾きますと、左斜面のようになっているのと同様に飛行機は左に先進しながら
滑り落ちてゆくのです。
前のめりのことを機首を下げる(ピッチを下げる)と言います。
左右どちらでも傾きますとその方向に滑り落ちてゆきますから、高度がドンドン下がって
ゆきます。
そうすると・・・スピードが出始めるのです。
特に機首下げを止めようと、こんどは機首を上げますと飛行機は上昇しますが、急にスピ
ード・ダウンします。
そうしますと推力がなくなり、それが結果的に揚力(浮き上がる力)を弱め、これまた
高度が落ちるのです(^^;
飛行機は水平でないと高度が上下します。
特に初心者が操縦をしますとスピードが速くなったり遅くなったりしながら波のように
飛行機は上下しながら飛びます。
後ろに座っている人は、船酔いすることがあります。
また飛行機は左右どちらかに傾きますと滑って高度が落ちると言いましたが、それだけで
はなく傾いた方に旋回を始めます。
そうしますとまっすぐ目的の方向に飛んでいってくれません(^^;
その上、高度が下がる・・・(^^;
このように飛行機を水平にまっすぐ飛ばすことが初心者には非常に難しいのです。
自動車や船は、上下になることはありません。
もちろん道路が上下していたり、波があれば確かに上下するでしょうが、簡単に姿勢は
復元します。
飛行機は、その復元にコツをマスターしなければ大変なことになります。
直線水平飛行という基本ができてから、しっかり座学で航空工学の理論を学び、それから
今度は旋回という方向転換の訓練などに入ります。
実は本来、仕事・作業も飛行機の訓練と同じなのです!
基本を学ぶ・・・実は「コツどころ」を学ぶことは非常に重要で、かつその後の教育訓練、
実務に欠かせないことであることを強調したいのです。
その「コツどころ」というのは、「教え方」によって天と地ほどの違いがあることを知る
必要があります!
冒頭に書いた、日本でのあのクソッタレ教官(あれっ・・・また私としたことが・・・)
に教わっていたのでは、未だに私は飛行機の操縦ができていなかったでしょう!
もちろん創意工夫によって実技が上手になり、考えることによって、より的確な実技能力
がつくことを否定するのではありません!
教育・訓練の基本は「コツどころ」なのです!
教育・訓練は、教育する側の「情熱」と「心づかい」なのですね!?
教育・訓練される立場にいる者より、教育する者によって、その成否が左右されることは
自明なのです!
教育・訓練を担当する者は、
1)教育・訓練をやりつづける環境づくりをしなければならない。
お膳立てのための計画、根回しができることなのです。
そして、何よりも大切なことは企業のトップが、
我が社の教育・訓練の重要性を認識していることなのです!
本来、人事の総責任者はナンバー2が司るべきなんです。
会社にある仕事は、すべて人がやるんですから・・・。
仕事と人を結び付けることのできるのは多くの経験を積んでいる人にほかならない
でしょう!?
2)教育・訓練をやらねばならない環境をつくっていくことも重要です!
まさに動機づけなのです!
そのための方法として、
・報酬による奨励
・懲罰による恐怖
がありますが、これらはどちらも一時的なもので外部から与えられるものです
よね!?
そこで、教わる人の「心構え」を変えることが最も大切な環境づくりとなります。
良い思考と良い習慣づくり、言うことは簡単なのですが非常に難しい・・・。
『教育・訓練には時間がかかる』ことを肝に命じておかなければなりません。
忍耐のいる事業なのですよ!
生半可なビジネスライクな気分で教える側に立つことが絶対にやっちゃぁダメですよ!
教育・訓練は、「教える者」と「教わる者」との『戦い』なのです!
教わる者が『なるほどぉ~わかった!』と言って、身をもって例外なく実践し続けたとき、
教えた者は教えたことになるのです!
教えたにもかかわらず、それができなかったり、それを実行しなかったら教えたことに
はなりません!
『教えた』という自己満足のみなんです!
3)教育・訓練から習慣へ
『しつけ』という字は躾』と書きますよね!?
書いて字のごとく「からだが美しい」となっています。
『しつけ』とは、「しつづける」ことでもあります。当たり前のことを当たり前に
しつづけることは並大抵のことではありません!だからこそ、それが自然とできる
ようになったら、その姿は美しいです!
スポーツなどのプロ選手のフォームが美しいのも自然だからなんです!
簡単なことと、楽なこととは違うもです。簡単なことほどやりつづけることは辛いことは
ご存じですよね!?
人が簡単だと思うことをきちんとやりつづけることができるようになったとき楽になるの
です。
辛いことに一本筋を通すと『幸』という字に変わることは以前にもお話しました。
また働くというのは「ハタを楽にさせること」ですよね!?
面倒なこと、他人がやりたくないことがやれることでもあるのです。
企業においても、当たり前のことを、簡単なことが、やり続けられることのできる時、
企業文化が明確になっていると言います。
CI(コーポレート・アイデンティティ)戦略などと一時、もてはやされた時期がありま
したよね!?
最も大切なポイントは『企業のしつけ』を確立することなのです!
ロゴを作ったり、色を決めたりするのがCIではないのです。
例えば、販売接客トークをきちんとロール・プレイング(役割演技法;互いに役割を演じ
ながら話しかたの訓練をする手法)によって繰り返し、飽きもせずやりつづける企業は
さすがに競争に強いです!
筆者のお手伝いしてる企業は、毎朝の朝礼時、男子も女子も一緒になって行進訓練と大声
を出す訓練をやりつづけています。
ですから営業所に入っていきますと、それはそれは素晴らしく気持ちのいい応対を受け
感激します。
もちろん、その地域の名物にもなっておりまして、実績もどんどん上がっております。
また、教育・訓練の基本は、良いことを素直に受け入れることであります。
『学ぶ』とは『まねる』⇒『まねぶ』⇒『まなぷ』に変化したものなのです!
日本のお稽古ごとは、すべて型から入りますね!?型をきちんとやりっづけることによっ
て心を知るのです!
「千日の稽古を鍛とし、百日の稽古を練とす」(宮本武蔵〉
「千日」「百日」も同じことを繰り返し、繰り返し練習、訓練して始めて、身につくの
です。
飛行機の操縦も自動車、自転車の運転も・・・。
そのために教える人の「コツどころ」が絶対不可欠となるのです!
御社の組織風土に、教える人の「心構え、心得」というのがきちんと示され、醸成されて
いますか?
私が、日米中の三つの国で飛行機の操縦訓練を受けた実感を述べますと、
・まず中国は、お国柄、日本人をお客様として扱い、飛行機に乗せてその楽しさを
教えるために観光フライトを主とした。
・日本では、欠点を見つけてボロかすに言い、質問すれば「何々を読めば判る!」って
逃げるのです。
そして、操縦訓練中も「なにやってんだぁ~!」と罵声だけ(^^;
帰還してきたら、「今日、何がまずかったか思い返して、復習しておくように!」
だけ(^^;
・米国では、フロントガラスにマークを入れてくれたり、計器の重要ポイントにマーク
を貼ってくれたり、帰還してから飛行機の模型とモデル計器を使って、丁寧に教えて
くれるのです。
その上、操縦訓練中は「いいね!」マークを多用し、ミスったら「もう一度やってみ
ましょう!」と先にお手本を示してくれるのです。
それだけではありません!
米国のマニュアル、テキストは数え切れないほどあるのです。
最近では、eラーニングもあり、インターネットでビデオ・マニュアルがあります。
クイズと呼ぶ、テスト問題も豊富なのです!
私が、チェーンストアの世界に足を踏み込んだとき、米国のスーパーマーケットと日本の
スーパーマーケットの違いを米国本土で確信しました。
米国に存在するマニュアルが、当時の日本にはほとんどなく、それを日本にもという使命
感を持ったのも、飛行機の教習(教育訓練のこと)で確信した「コツどころ」なんだよ
なぁ~というべき感動があったからです。
人類生成発展のために「コツどころ」を伝授し続ける風土を作ろうではありませんか!
もちろん「以心伝心」の、書けない、話せない深い深意・真意をマニュアルにせよなんて
言っておりませんから・・・(^o^)/
ありがとうございました。
いわき経営コンサルタント事務所ホームページ
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