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新人ビジネス・リーダーいろは考;第32講:『不惜身命』
32講:『不惜身命』
『不惜身命(仏教用語;語源法華経)』は「ふしゃくしんみょう」と読むのですね。
かなり昔のことになります。
一世を風靡した大相撲若貴兄弟の弟さん貴乃花関(今はふるなび、ふるなび、ふるさと納税♫のCM)が横綱に推挙され、横綱昇進受託宣誓に使った口上文句でした。
「命を捧げても惜しくないこと」を言うらしいのです。
以前、いろいろと相撲界での不祥事で一本筋を通されて注目され、誤解・非難なされましたが・・・。
どうでしょう?
私たちはまだまだ凡人です。周囲にいる弱冠20歳の人が同じ様な言葉を使ったら「何を偉そうに!」と叱られるかも知れません。
しかし彼が、堂々と使っても、誰も批判することをしませんでした。
それほど彼が偉大であるということですよね!?
大リーガーの大谷さん、イチローさん、ボクシングの井上尚弥さん、将棋の藤井さんも同様ですね!?
実は、私は現役時代の貴乃花ファンだったんです。
彼がまだ、小結、関脇、大関(三役の頃)の時でしたが、相撲に負けるとマスコミがドッと貴乃花関に押し寄せ、ありきたりのインタビューをします。
「今回の敗因は何ですか?」
貴乃花関は、スパっと「弱いから負けるんです!」って、いつも言っていた言葉が忘れられません。
自分に言い聞かせるように、群がるマスコミの質問にこのように答えている姿に、私は非常に共感を覚えました。
大体、人間は失敗しますと言い訳が先行します。
貴乃花関はまず、自分自身の弱さを素直に認めます。
おそらく負けた日の夜などは、眠れないほど悔しかったのではないでしょうか?
しかし、その悔しさの中で反省し、明日、勝つための新たな研究をしていたはずです。
そうでなければ、横綱という最高位に登り詰めることなど出来なかったはずです。
自分の自由な時間も取れない中での生活を考えて見て下さい。
色事のスキャンダルなどを持ち出し、彼を誹謗しようとする悪辣なマスコミに私は怒りを覚えました。
男子20歳で下半身に何も感じないようでは不感症ですよ!
ここでも自然の理で書いております。
このことを包み隠そうとする似非進歩的文化人が大嫌いです!
また、そのような記事に接することで安心したり、それをトヤカクすることで大切な人生の時間を費やしている人がいることも残念ですね。
人の事より自分のことを真剣に考える。
そして自分は「世のため、人のために、少なくてもいい! 今、何をしているのか?!」を考えることの方が、どれくらい素晴らしいでしょう!?
貴乃花関が宣誓した『不惜身命』という言葉は、相撲界を背負って立ってゆくことの決意だけではないように思うのです。
相撲を通じて、多くの人達に「努力」の大切さと「忍耐」、そして、「玄人への道」を教え続けることの宣誓に聞えました。
「その道の達人」は皆んな、自分の仕事に、まさに『不惜身命』の精神を持ち合しているように思います。
その根本精神は「この仕事に命を捧げるんだ」という確固たる「覚悟」と「決意」です。
仕事を「好きになる」ことを通り越した所にある精神的態度であるように思います。
まだまだ未熟な私ですから、そんなに多くの達人とご縁をいただくことは少ないのですが、私の出会った達人のすべてがこんなことを言われるのですね。
相撲界では「弟子入りしてきた人は徹底して鍛える」のだそうです。
端から見るとイジメに極似しています。
相撲界を去らざるを得なかった大横綱であった白鳳関は、先般、テレビのトーク番組で、「もう心臓が止まるかもしれないところまで稽古をすると、その直後にスゥ~っと楽になり、その後はもっと厳しい稽古に耐えられる様になった」とおっしゃっていました。
ですから、
「そのような稽古をさせると本人がどれくらい、これからやろうとすることに真剣なのか? 好きなのか?が分る」
とおっしゃいます。
「サラリーマン根性であったり、格好よく楽にお金儲けをしたい者は5分で逃げ出す」そうです。
1時間で辞めてゆく者、3時間、1日、1週間、1ケ月と辞めてゆくタイミングが長くなっていっても、やはり、真剣さやその仕事を本当に好きになれない人は続かないそうです。
「何があったって、どんなことが起ころうとコレだ!と確信した仕事に打ち込む」、このことが『不惜身命』の第一歩ではないでしょうか。
貴乃花関が今でも、相撲界に席を置き、後進の指導をされていることに、やはり「ウソじゃぁなかった!」と思うのです。
今やっている仕事の「意義」と「目的」を知り、そのことが「世のため、人のため」につながることだと確信して、一回しかない人生をそれで燃焼し尽くそうと信じれば、計り知れないエネルギーが産まれてくるのではないでしょうか!?
ここまでくれば「疲れた」とか、「休みが欲しい」とかは言わなくなります。
もちろん、決して、まったく自由な時間が無くなることではありません。
集中して仕事に打ち込むから、相当なスピードで事を成し遂げます。
中国のお正月が日本では節分ですね。
日本では「鬼は外、福は内」と言って豆を蒔きます。
中国での本当の言葉は
遠 仁 者 疎 道
不 苦 者 迂 智
だそうです。
『仁に遠き者、道疎し(うとし)。苦しまざる者、智恵に迂とし。』と直訳します。
すなわち、『人との仁義に欠ける者は人生のなんたるかに疎く、厳しさを欠く。
何事にも苦労しないものは智恵すら出ない』と理解しましょう。
とりもなおさず『不惜身命』たる答えのように思います。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第31講:『経営』
第31講:『経営』
次代を担うニューリーダーの皆さんにぜひ考えて欲しい『経営』についてお話しします。
『経営とは凡人を非凡に変えること』
ということは、常々、お話させていただいております。
『経営』という言葉は仏教用語なのだそうです。
読んで字のごとく「お経を営む」となります。
仏教において「お経を読む」、「お経の内容を理解し、実践する」ことと思いますが、・・・そうではないそうです。
仏教では、『経営とは、凡人を仏の位に導くこと』なのだそうです。
「仏」の位というのは「悟りの境地」に入ることです。
仏教の先達者が、そのための布教や仏様の教え、そして、悟るための修業の方法を教えることなのです。
私たちは、もちろん、テレビなどで紹介される仏教の世界での厳しい修業を人里離れて、同じ様にするわけにはいきません。
私たちはビジネスの世界に生きていますから、この言葉をビジネスの世界に置き換えて理解したいと思います。
そうしますと私たちの住んでいる世界では、最高の境地と言ったら何になるか考えてみますと・・・、『プロ』の世界になるのではないでしょうか。
『プロ』の人のことを『非凡な人』といいます。
それは、どんなジャンルに生きていても同じように呼ばれます。
たとえば、大リーガーの大谷さん、イチローさん、将棋の藤井さん、などは、正に「非凡な人達」です。
俳優さん、裁判官、弁護士、会計士、医師、教師、デザイナー、理美容師、料理人、女将、運転手、設計士、・・・挙げればキリがありません。
実は、私たちの身近な世界にもプロというのがいます。
「彼がその営業所、店舗に行けば必ず実績が上がる!」と言われる人がいるのです。
このように言われる人こそ『プロ』すなわち『非凡な人』なのです。
『経営』というのは、ですから、「経営者」「経営幹部」「経営管理者」と呼ばれる人が、良い組織を作るために、任せて安心、言われないと動かないのではなく、主体性を持って仕事をするような人を育ててゆくことなのです。
自分のもとにいる部下や後輩を「凡人から非凡に育成してゆく」ことだと認識したいのです。
さて、そうなるとまず最初にしなければならないことは何でしょう!?
お分りになると思います。
それは「自らを非凡にさせる」ことが先決となりませんか?
そうなのですね・・・、『経営』のできる人は皆んな、自分を『非凡』にさせることのできる人なのです!
すなわち「自己啓発」を怠らずできる人で、なおかつ、やっぱり、他の人とは違う人でなくてはなりません。
もう少し具体的にいいますと、「一目置かれる存在」になることなのです。
何か一つは、誰にも負けない技術・技能・知識があることではないでしょうか。
もちろん、人にはなかなか真似のできない経験などもそうです。
このようになってはじめて部下や後輩から認められ、「この人の言うことなら~」となるのではないでしょうか。
ところが「あの人は遅刻の名人」とか「あの人は、酒飲みの大家」などと言われても、決して人は尊敬などしてくれません。
こんなのは『非凡』でもなんでもありません。
『非凡』の条件があるとすれば、「世のため、人のためになる」ことのできるものを持っていることです。
皆さんは、自分を『非凡』にすることができたり、そのような方向に自己育成・自己啓発できるようになれば『経営』をすることができるようになります。
それは皆さんが人を「育成・導き」をしてゆくことに他なりません。
そうなんです!部下や後輩を育ててゆくことなのです。
そのための手順があります。
それは教えられる側の人の考え方を正しい方向に持って行くことから始めなければなりません。
私は、このことを「中心感を持たせる」と言っています。
そして、そのことを『教育』と定義しております。
次に「出来る腕前を付けさせる」ことになります。
これは「訓練」しか方法がありません。
繰り返し繰り返し、相手がいやだと思ってもやらせ続ける指導をいいます。
『成功とは最後までやったこと』といわれる通りです。
IMCで行う行動訓練というは、これを徹底してやります。
「教育訓練」は、「飽きず」「焦らず」「諦めず」なのです。
そして、教わった人が「おかげさま」と言えるようになった時、『経営』をしたんだと考えてはどうでしょうか!?
世間で言われる『経営』とは違いますよね。
「人を育てる素晴らしい行い」を言うのですから、『善行』に他なりません。
『経営者』は、ですから・・・報われて当たり前の人なんです。
そして神様、仏様がそのように頑張っている人を見捨てるでしょうか!?
決して、断じてありませんよね。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第30講:『学ぶ』
第30講:『学ぶ』
『学ぶ』ということについて、社員研修のときには良く話をさせていただいております。
そのことを再度、ここでお話させていただきましょう。
『学ぶ』の元言葉はなんでしょう!?
実は「まねぶ」なのです。「まねぶ」って変ですね!?
「まねぶ」の原語は「まねる」になるのです!
すなわち、「学ぶ」とは「マネる」ことなのですね。
『学ぶ』の名詞形が「学習」です。
この「学習」という字をもう少し考えてみますと分りやすくなります。
「習って学ぶ」ことを「学習」と言います。
この「習う」というのが、実は「マネる」ことに他なりません。
ですから「学習」というのは、「マネて」また「マネる」と訳します。
何度も何度も「マネ」をしなさいという言葉が「学習」なのです。
『マネをする』ことを恥だと思う人がいます。
とんでもない間違いです!
生まれてこのかた今まで、すべての人は誰かのすることを全部マネをして知識や技術・技能などを身につけてきました。
かく言う私も今、この稿を書くのに、左脳に蓄積されている過去に「読んだこと」「教わったこと」、すなわち「マネた」ことから単語やモデルとなる文章を拝借しながら、つなぎあわせて書いているわけです。
神様からいえば盗作に近いものになるのです。
でも、一応、オリジナルな文章ですから著作権が私にあるのですね。
歩き方や話し方も、今までの人生の生き様から身につけてきたものです。
やっぱり、『マネ』をしてきています。
特に動作や身振り、そして話し方、声の出し方、抑揚は、皆さんのご両親に似ていませんか?
そっくりな方もいます。
これはDNAという遺伝子の情報伝達によって似たのではなく、赤ん坊の時から親や周囲の人のなすままを『マネて』きたからなのです。
インドの狼少年がそれを証明しています。
もうかなり昔の実話ですが、狼に育てられた3才位の少年がインドの森で保護されました。
誰かに捨てられた赤ん坊が、本当ならオオカミの餌食になるところを育ててもらったのです!
人間の3才児だったら言葉を話しますが、この子は狼そっくりで吠えることしかできませんでした。
行動も四ツ足で歩き、食べることも四足動物と同じ口だけでガツガツ食べたそうです。
人間が必死になって環境に順応させようしましたが、残念ながら1年程で死んでしまいました。
多くの学者が、生存中にこの子供を研究しました。
結論は「生まれよりも育ち」によって、性格、行動が形作られるということが証明されました。
大変、厳しいことを言いますが「子供を見れば親がわかる」というのは本当のことなのです。
子供の躾は、全部といっていいくらい親のマネなのですね。
「だらしない人」の親は、やっぱり、必ず「だらしない」のですね・・・。
さてビジネスの世界で『学ぶ』ということはどういうことかを考えてみます。
まず「いい仕事ができるようになる」ために私たちは、多くの人から『学び』ます。
『学んだ結果』が確実に仕事に活かされ業績や実績、成果に結びつくことが大切です。
ですから『学ぶべき人』を間違えてはならないということが、まず第一のポイントになります。
良い仕事をしてゆくために、正しい経験を積んだ上司、先輩、先生と出会うことです。
第二のポイントは、『素直』に言われたとおり『マネをする』ことです。
私は「中途半端に頭の良い人」ということを、都度々お話しすることがあります。
「中途半端に頭が良い」人というのは、普通の人より要領がいいのと先を少し観る能力があります。
ですから、どうしても厳しい苦しい試練に出会ったらこの先どうなるかが少し分かる訳けです。
これがタチの悪いことになってゆきます。
要領がいいものですから・・・「手を抜く」のですね!
そのため100の能力があっても80位の力しか出さないのです。
ついには能力が90や85位に萎縮してしまうのんです!
また、彼は「自我流」で勝手な解釈をすることが多く、教わったことの半分も『マネ』をしようとしません。
ですから、せっかく才能があっても伸びないことが多々あります。
「中途半端に頭の良いこと」は災いになっていることがあります。
基本を完全に身につけるまで「ヘ理屈」なしに『素直』に『マネる』べきです。
第三のポイントは、『マネる』ときは『一所懸命』であることです。
実力というのは、
「体験回数(マネ回数)」×「吸収密度」
なのですね。
「吸収密度」を高くするのは『一所懸命』なのです。
そして最後の最も重要なポイントは、ちょっとできるようになっても「有頂天」にならないことなのですね。
「これで十分!」「もう私が一番!」なんて思ったら、誰からも『学ばなく』なります。
『学んだこと』は、脳科学的には絶対に死ぬまで消えることがないそうです。
「記憶されたもの」は死ぬまで一切なくならないそうです。
特に強烈な『学習』は、DNAの遺伝子情報にも記録されて子孫に伝わってゆくらしいのです。
怖いですね・・・。ですから、正しいことだけを『学ぶ』ようにしてゆかなければなりませんね。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第29講:『厄』
第29講:『厄』
『厄』について、私が考えていることをお話します。
余りにもムチャな話だと・・・皆さんからお叱りを受けるかも知れません?
『厄年』は、人生の注油時期、脱皮時期に当たるから「無理」をするな!
「災い」を受けるから注意せよ!と先人先達が教え続けてきたものです。
もちろん医学的にも、物理的にも根拠が無いことはないらしいのです。
しかし、完全にその因果関係を証明することはできません。
『厄』で最も怖いことは「死」が付きまとうことです。
誰もが「死」を恐れます。
昔は平均寿命が40才から50才でした。
ですからこの時期に『厄』という理由によって亡くなった人が多いことから注意を喚起する必要があったと考えてもいいんではないでしょうか。
ご存知の松下幸之助翁から、私がご存命の時に、講演会でお伺いした貴重な教訓となる『厄年』についてお話しします。
実には、この話に・・・ものすごく私は影響を受けました。
おかげさまで私は『男厄』を無事に終えることができました。
松下幸之助翁は「経営の神様」と言われた方です。
戦前に「二股ソケット」を発明し、それを事業化させ、今の「松下電器産業グループ」、すなわち「ナショナル・グループ」「パナソニック・グループ」を創ったお方です。
松下幸之助翁が『厄年』の時に、事業の拡大を図るために、どうしても本社社屋を移転拡充する必要がありました。
その移転場所の候補の第1番になったのが大阪の門真市でした。
その時がまさに、松下幸之助翁の『本厄』でした。
なおかつ、移転先の門真は方位学でいうその年の「大鬼門」だったそうです。
会社役員や周囲の関係者はこぞって反対したそうです。
たちまち取引先関係などから、これで松下は潰れるという噂まで出たそうなのです。
松下幸之助翁は本社移転に対して、役員会でこの様におっしゃったそうです。
「私はいままで”水道哲学”を推進してきました。すなわち、多くの物が水道水のように無尽蔵にあり、タダ同然であれば、誰れでもが豊かな生活を送ることができる。世の中を豊かにする電化製品をもっともっと安く大量に作る精神が”水道哲学”です!」
「この私の考えが間違っているとは到底考えられません。本当に神様や仏様がいるなら、私のやってきたこと、やってゆこうとすることを支持し、手助けしていただけるはずです。もし、間違っているのなら私は、世のため人のためにはなっていないはずです!」
「だから『厄年』の時に、本社を『大鬼門』に向かって移転することは、誰でもが心配する。
いや、大変に危険だ!止めろ!と皆が言います。しかし、正しい事をしているのに神様や仏様が放っておくとは思いません。このことに審判を下していただくことにします。
もし世間で信じられておるタタリのようなことが起こらなければこれからも益々、松下電器産業は生成発展・繁栄してゆくはずです。必ず、成し遂げてみせます!」
結果はお分りのように見事に成功しました。
私も松下幸之助翁のご意見にまったく同感です。
『厄』を心配するのは、心に何かやましいものがあるからなのかもしれません。
私事で恐縮ですが・・・、私の男41・42・43歳、60・61・62歳『厄年前後3年間=前厄・本厄・後厄』は必死で仕事をつくることにしました。
ほとんど休日なしで仕事をしました。
もちろん家族の暖かい協力がありました。
心の中で「正しいことをしていなければ生きる価値がないから『厄』の審判が下される」と松下幸之助翁から教わったことを自身に言い聞かせ、クタクタになってもただただそれを信じて仕事をした記憶があります・・・。
お陰様で、多くの価値ある仕事ができました。
多くの素晴らしい人達に出会いました。
今でも価値ある仕事がいっぱい入ってきます。
自信を持って仕事をしてゆくことができます。
収入も人並み以上にあり、家族も安心です。
「厄介だなぁ!」と何でもかんでも、やる前に思ってしまう人がいます。
この様な人は、毎日が『厄』の中で生きていろようなものです。
起きてから寝るまで『厄』だらけですから、毎日が「生き地獄」です。
「生労病死」が人間の最大の「苦」だと、おシャカ様はおっしゃっています。
これを「四苦八苦の中の四苦」と言います。
『厄払い』はまず、自分ですることではないでしょうか?
すなわち『厄』という自分で幻想しているイジメ(虐め)、そうイメージに対して果敢に立ち向かうことが最大の『厄よけ』なのです!
ありがとうございました。
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