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新人ビジネス・リーダーいろは考;第31講:『経営』
第31講:『経営』
次代を担うニューリーダーの皆さんにぜひ考えて欲しい『経営』についてお話しします。
『経営とは凡人を非凡に変えること』
ということは、常々、お話させていただいております。
『経営』という言葉は仏教用語なのだそうです。
読んで字のごとく「お経を営む」となります。
仏教において「お経を読む」、「お経の内容を理解し、実践する」ことと思いますが、・・・そうではないそうです。
仏教では、『経営とは、凡人を仏の位に導くこと』なのだそうです。
「仏」の位というのは「悟りの境地」に入ることです。
仏教の先達者が、そのための布教や仏様の教え、そして、悟るための修業の方法を教えることなのです。
私たちは、もちろん、テレビなどで紹介される仏教の世界での厳しい修業を人里離れて、同じ様にするわけにはいきません。
私たちはビジネスの世界に生きていますから、この言葉をビジネスの世界に置き換えて理解したいと思います。
そうしますと私たちの住んでいる世界では、最高の境地と言ったら何になるか考えてみますと・・・、『プロ』の世界になるのではないでしょうか。
『プロ』の人のことを『非凡な人』といいます。
それは、どんなジャンルに生きていても同じように呼ばれます。
たとえば、大リーガーの大谷さん、イチローさん、将棋の藤井さん、などは、正に「非凡な人達」です。
俳優さん、裁判官、弁護士、会計士、医師、教師、デザイナー、理美容師、料理人、女将、運転手、設計士、・・・挙げればキリがありません。
実は、私たちの身近な世界にもプロというのがいます。
「彼がその営業所、店舗に行けば必ず実績が上がる!」と言われる人がいるのです。
このように言われる人こそ『プロ』すなわち『非凡な人』なのです。
『経営』というのは、ですから、「経営者」「経営幹部」「経営管理者」と呼ばれる人が、良い組織を作るために、任せて安心、言われないと動かないのではなく、主体性を持って仕事をするような人を育ててゆくことなのです。
自分のもとにいる部下や後輩を「凡人から非凡に育成してゆく」ことだと認識したいのです。
さて、そうなるとまず最初にしなければならないことは何でしょう!?
お分りになると思います。
それは「自らを非凡にさせる」ことが先決となりませんか?
そうなのですね・・・、『経営』のできる人は皆んな、自分を『非凡』にさせることのできる人なのです!
すなわち「自己啓発」を怠らずできる人で、なおかつ、やっぱり、他の人とは違う人でなくてはなりません。
もう少し具体的にいいますと、「一目置かれる存在」になることなのです。
何か一つは、誰にも負けない技術・技能・知識があることではないでしょうか。
もちろん、人にはなかなか真似のできない経験などもそうです。
このようになってはじめて部下や後輩から認められ、「この人の言うことなら~」となるのではないでしょうか。
ところが「あの人は遅刻の名人」とか「あの人は、酒飲みの大家」などと言われても、決して人は尊敬などしてくれません。
こんなのは『非凡』でもなんでもありません。
『非凡』の条件があるとすれば、「世のため、人のためになる」ことのできるものを持っていることです。
皆さんは、自分を『非凡』にすることができたり、そのような方向に自己育成・自己啓発できるようになれば『経営』をすることができるようになります。
それは皆さんが人を「育成・導き」をしてゆくことに他なりません。
そうなんです!部下や後輩を育ててゆくことなのです。
そのための手順があります。
それは教えられる側の人の考え方を正しい方向に持って行くことから始めなければなりません。
私は、このことを「中心感を持たせる」と言っています。
そして、そのことを『教育』と定義しております。
次に「出来る腕前を付けさせる」ことになります。
これは「訓練」しか方法がありません。
繰り返し繰り返し、相手がいやだと思ってもやらせ続ける指導をいいます。
『成功とは最後までやったこと』といわれる通りです。
IMCで行う行動訓練というは、これを徹底してやります。
「教育訓練」は、「飽きず」「焦らず」「諦めず」なのです。
そして、教わった人が「おかげさま」と言えるようになった時、『経営』をしたんだと考えてはどうでしょうか!?
世間で言われる『経営』とは違いますよね。
「人を育てる素晴らしい行い」を言うのですから、『善行』に他なりません。
『経営者』は、ですから・・・報われて当たり前の人なんです。
そして神様、仏様がそのように頑張っている人を見捨てるでしょうか!?
決して、断じてありませんよね。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第30講:『学ぶ』
第30講:『学ぶ』
『学ぶ』ということについて、社員研修のときには良く話をさせていただいております。
そのことを再度、ここでお話させていただきましょう。
『学ぶ』の元言葉はなんでしょう!?
実は「まねぶ」なのです。「まねぶ」って変ですね!?
「まねぶ」の原語は「まねる」になるのです!
すなわち、「学ぶ」とは「マネる」ことなのですね。
『学ぶ』の名詞形が「学習」です。
この「学習」という字をもう少し考えてみますと分りやすくなります。
「習って学ぶ」ことを「学習」と言います。
この「習う」というのが、実は「マネる」ことに他なりません。
ですから「学習」というのは、「マネて」また「マネる」と訳します。
何度も何度も「マネ」をしなさいという言葉が「学習」なのです。
『マネをする』ことを恥だと思う人がいます。
とんでもない間違いです!
生まれてこのかた今まで、すべての人は誰かのすることを全部マネをして知識や技術・技能などを身につけてきました。
かく言う私も今、この稿を書くのに、左脳に蓄積されている過去に「読んだこと」「教わったこと」、すなわち「マネた」ことから単語やモデルとなる文章を拝借しながら、つなぎあわせて書いているわけです。
神様からいえば盗作に近いものになるのです。
でも、一応、オリジナルな文章ですから著作権が私にあるのですね。
歩き方や話し方も、今までの人生の生き様から身につけてきたものです。
やっぱり、『マネ』をしてきています。
特に動作や身振り、そして話し方、声の出し方、抑揚は、皆さんのご両親に似ていませんか?
そっくりな方もいます。
これはDNAという遺伝子の情報伝達によって似たのではなく、赤ん坊の時から親や周囲の人のなすままを『マネて』きたからなのです。
インドの狼少年がそれを証明しています。
もうかなり昔の実話ですが、狼に育てられた3才位の少年がインドの森で保護されました。
誰かに捨てられた赤ん坊が、本当ならオオカミの餌食になるところを育ててもらったのです!
人間の3才児だったら言葉を話しますが、この子は狼そっくりで吠えることしかできませんでした。
行動も四ツ足で歩き、食べることも四足動物と同じ口だけでガツガツ食べたそうです。
人間が必死になって環境に順応させようしましたが、残念ながら1年程で死んでしまいました。
多くの学者が、生存中にこの子供を研究しました。
結論は「生まれよりも育ち」によって、性格、行動が形作られるということが証明されました。
大変、厳しいことを言いますが「子供を見れば親がわかる」というのは本当のことなのです。
子供の躾は、全部といっていいくらい親のマネなのですね。
「だらしない人」の親は、やっぱり、必ず「だらしない」のですね・・・。
さてビジネスの世界で『学ぶ』ということはどういうことかを考えてみます。
まず「いい仕事ができるようになる」ために私たちは、多くの人から『学び』ます。
『学んだ結果』が確実に仕事に活かされ業績や実績、成果に結びつくことが大切です。
ですから『学ぶべき人』を間違えてはならないということが、まず第一のポイントになります。
良い仕事をしてゆくために、正しい経験を積んだ上司、先輩、先生と出会うことです。
第二のポイントは、『素直』に言われたとおり『マネをする』ことです。
私は「中途半端に頭の良い人」ということを、都度々お話しすることがあります。
「中途半端に頭が良い」人というのは、普通の人より要領がいいのと先を少し観る能力があります。
ですから、どうしても厳しい苦しい試練に出会ったらこの先どうなるかが少し分かる訳けです。
これがタチの悪いことになってゆきます。
要領がいいものですから・・・「手を抜く」のですね!
そのため100の能力があっても80位の力しか出さないのです。
ついには能力が90や85位に萎縮してしまうのんです!
また、彼は「自我流」で勝手な解釈をすることが多く、教わったことの半分も『マネ』をしようとしません。
ですから、せっかく才能があっても伸びないことが多々あります。
「中途半端に頭の良いこと」は災いになっていることがあります。
基本を完全に身につけるまで「ヘ理屈」なしに『素直』に『マネる』べきです。
第三のポイントは、『マネる』ときは『一所懸命』であることです。
実力というのは、
「体験回数(マネ回数)」×「吸収密度」
なのですね。
「吸収密度」を高くするのは『一所懸命』なのです。
そして最後の最も重要なポイントは、ちょっとできるようになっても「有頂天」にならないことなのですね。
「これで十分!」「もう私が一番!」なんて思ったら、誰からも『学ばなく』なります。
『学んだこと』は、脳科学的には絶対に死ぬまで消えることがないそうです。
「記憶されたもの」は死ぬまで一切なくならないそうです。
特に強烈な『学習』は、DNAの遺伝子情報にも記録されて子孫に伝わってゆくらしいのです。
怖いですね・・・。ですから、正しいことだけを『学ぶ』ようにしてゆかなければなりませんね。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第29講:『厄』
第29講:『厄』
『厄』について、私が考えていることをお話します。
余りにもムチャな話だと・・・皆さんからお叱りを受けるかも知れません?
『厄年』は、人生の注油時期、脱皮時期に当たるから「無理」をするな!
「災い」を受けるから注意せよ!と先人先達が教え続けてきたものです。
もちろん医学的にも、物理的にも根拠が無いことはないらしいのです。
しかし、完全にその因果関係を証明することはできません。
『厄』で最も怖いことは「死」が付きまとうことです。
誰もが「死」を恐れます。
昔は平均寿命が40才から50才でした。
ですからこの時期に『厄』という理由によって亡くなった人が多いことから注意を喚起する必要があったと考えてもいいんではないでしょうか。
ご存知の松下幸之助翁から、私がご存命の時に、講演会でお伺いした貴重な教訓となる『厄年』についてお話しします。
実には、この話に・・・ものすごく私は影響を受けました。
おかげさまで私は『男厄』を無事に終えることができました。
松下幸之助翁は「経営の神様」と言われた方です。
戦前に「二股ソケット」を発明し、それを事業化させ、今の「松下電器産業グループ」、すなわち「ナショナル・グループ」「パナソニック・グループ」を創ったお方です。
松下幸之助翁が『厄年』の時に、事業の拡大を図るために、どうしても本社社屋を移転拡充する必要がありました。
その移転場所の候補の第1番になったのが大阪の門真市でした。
その時がまさに、松下幸之助翁の『本厄』でした。
なおかつ、移転先の門真は方位学でいうその年の「大鬼門」だったそうです。
会社役員や周囲の関係者はこぞって反対したそうです。
たちまち取引先関係などから、これで松下は潰れるという噂まで出たそうなのです。
松下幸之助翁は本社移転に対して、役員会でこの様におっしゃったそうです。
「私はいままで”水道哲学”を推進してきました。すなわち、多くの物が水道水のように無尽蔵にあり、タダ同然であれば、誰れでもが豊かな生活を送ることができる。世の中を豊かにする電化製品をもっともっと安く大量に作る精神が”水道哲学”です!」
「この私の考えが間違っているとは到底考えられません。本当に神様や仏様がいるなら、私のやってきたこと、やってゆこうとすることを支持し、手助けしていただけるはずです。もし、間違っているのなら私は、世のため人のためにはなっていないはずです!」
「だから『厄年』の時に、本社を『大鬼門』に向かって移転することは、誰でもが心配する。
いや、大変に危険だ!止めろ!と皆が言います。しかし、正しい事をしているのに神様や仏様が放っておくとは思いません。このことに審判を下していただくことにします。
もし世間で信じられておるタタリのようなことが起こらなければこれからも益々、松下電器産業は生成発展・繁栄してゆくはずです。必ず、成し遂げてみせます!」
結果はお分りのように見事に成功しました。
私も松下幸之助翁のご意見にまったく同感です。
『厄』を心配するのは、心に何かやましいものがあるからなのかもしれません。
私事で恐縮ですが・・・、私の男41・42・43歳、60・61・62歳『厄年前後3年間=前厄・本厄・後厄』は必死で仕事をつくることにしました。
ほとんど休日なしで仕事をしました。
もちろん家族の暖かい協力がありました。
心の中で「正しいことをしていなければ生きる価値がないから『厄』の審判が下される」と松下幸之助翁から教わったことを自身に言い聞かせ、クタクタになってもただただそれを信じて仕事をした記憶があります・・・。
お陰様で、多くの価値ある仕事ができました。
多くの素晴らしい人達に出会いました。
今でも価値ある仕事がいっぱい入ってきます。
自信を持って仕事をしてゆくことができます。
収入も人並み以上にあり、家族も安心です。
「厄介だなぁ!」と何でもかんでも、やる前に思ってしまう人がいます。
この様な人は、毎日が『厄』の中で生きていろようなものです。
起きてから寝るまで『厄』だらけですから、毎日が「生き地獄」です。
「生労病死」が人間の最大の「苦」だと、おシャカ様はおっしゃっています。
これを「四苦八苦の中の四苦」と言います。
『厄払い』はまず、自分ですることではないでしょうか?
すなわち『厄』という自分で幻想しているイジメ(虐め)、そうイメージに対して果敢に立ち向かうことが最大の『厄よけ』なのです!
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第28講:『苦言を呈する』
第28講:『苦言を呈する』
『苦言を呈する』というのは、警告、忠告をすることです。
皆さんはどれくらい素直に、『苦言』を受けることのできる人を周りに持っていますか?
人間と言うのはとかく、ちょっと成功をしますと調子に乗ったりします。
私は多くの人から「先生、先生」と呼ばれます。
本音を言いますとチョット恥ずかしいのです。
しかし自分の名前と同じで何度も「先生」と言われているうちに、「先生!」と呼ばれますと条件反射的に返事をしたりします。
ですから、自分に対していつも「先生・先生と呼ばれるほどバカじゃない!」と言い聞かせます。
何も先生と呼んでくれた人に対しての反発を持っている訳ではありません。自分自身に「調子に乗るなよ!」と言い聞かせているだけです。
私の周りにも、たとえば国家資格に合格したり、非常に短期的に成績が上がると「態度が偉そうになる人」がいます。
たぶん本人は気づいていないのですが・・・。
そのようなタイプの人に限って他人から「良くやった」と誉められたいのですね!?
また「褒め言葉」を何度も言って欲しい人がいるのも事実です。
でも、他人はそんなに何度も誉めてはくれません。
それよりも、その人にとってもっと上のステージを狙わせるためにより大きな課題を与えることがあります。
このようなとき、相手の心からの励ましなのに「あの人は誉めてくれない!」と勘違いする人がいるのですね。
その心は態度になって顕れます。
たとえば健康上の問題を提起して、
「自分は健康を害するくらい働いているのに!」
とか言ったりします。
また巧妙なサボータージュ(サボり)をする人もいます。
親戚の人が全部死んでしまうくらいの悔やみや法事をつくり休んだりする人もいるのです。また結婚式など、むやみやたらとオヨバレした理由で休みを取ったりします。
有給休暇は、さも当然と取ります。
こうなりますとなかなか、その人とコミュニケーションを交わすことなどできませんね。
上司や先輩からすると『苦言を呈する』こともできなくなります。
先ほども言いましたように『苦言』というのは忠告や警告なのです。
「こんなことしているとこうなるよ!」とか、「これからこうするともっと良くなるよ!」
というのが『苦言』なのです。
『良薬、口に苦し!』という格言がありますが、まさに『苦言』はそれなのです。
しかしプライドが高かったり、有頂天になっていたりしている人は『苦言』が耳障りなんですねぇ~。
こういう状態では、もちろん素直になれませんね!?
素直というのは「心を開ける」ことから始まります。
また後日のブログで述べますが、『中心観』という非常に重要な判断基準がないと真実が見えません。
『中心観』は「何が正しいか」の基準なのです。
この「何が正しいか」を理解するためには、正しい経験を多く積んだ上司や先輩から教わらなくてはなりません。
あやや・・・どうも「ニワトリが先か卵が先か」になってしまいました。
さて『苦言』を素直に聞けるようになるためには、いつもどうしたらいいのでしょうかね?
それは上司や先輩のいいところをいつも見るようにすることなのです。
特に仕事において、自分よりもはるかに優れているところを多く見つけて認めようとすることです。
もちろん、その人にも欠点や短所があります。
どんな人も聖人君子じゃないのですから間違いや欠点はありますよ!
それを聴きたくない理由にしていたのでは、誰からも学べませんね!?
最もいい方法は、自分から『苦言を呈して』もらう姿勢を見せることでしょうね。
大変に難しいことですが、自分を積極的に成長させるためには非常に重要なことです!?
世の中で成功している人には必ずといっていいくらい、『苦言を呈してくれる師』がいるようです。
逆境にあるときよりも順境にあるとき、あえて自分から進んで『苦言』を承りに師のところに行く人すらあります。
私の仕事は経営のお手伝いなのですが、もちろん、委託される企業トップ、CEOや代表取締役社長と接することが圧倒的に多くなります。
経験上、立派な経営をしている、利益を上げている社長ほど
「先生、どこか間違っていたりしませんかね?」
と質問されます。
私はですから、間違っていたり、勘違いしていると感じたことはハッキリ言わせていただくことにしております。
ダメな経営をしている社長は、残念ならが褒め言葉が欲しいくせに社員の悪口が多い(^^;
私は『苦言を呈する』ことこそミッションだと確信し、厳しいことを申し上げますが、必ず、素晴らしい社長ほど感謝の言葉を返えしてきます。
そして、また、一歩一歩経営を着実に良くされています。
逆に『苦言』を受けることがとにかくイヤな人は、どうしても素直になれない分、成長が遅いものですから、他の人との変なライバル心が出来てしまうのですね。
最悪の場合は、はるかに後輩である人に対しても、上手く行かない苛立ちからライバル心が先行してしまい、自分が指導や導く立場にありながら、敵対心でつき合うことになってしまい味方がドンドン少なくなって、仕舞いには孤立しますね(^^;
「あの人は仕事はできるが、人ができていない!」となってしまいます。
ですから、ちょっと差別的な言い方をするようですが、「職人」になってしまうのですねぇ~。
経営では「赤字」になったことを正当化する『アホ・バカ社長』がいます。
「赤字」は正しくない経営の姿なのですから「素直に指導」を受けるべきなのです。
しかし根がアホ・バカだから、やっぱりそれができない(^^;
ダメですねぇ~。
『苦言』=『良い薬』をぜひ都度々々飲みましょう(^^)
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは考;第27講:『教える』
第27講:『教える』
『教える』ということについてお話しします。
その前に、作者不祥なんですがすばらしい言葉がありますので紹介します。
『教える』『教わる』ものの心構え
一.教える(愛しむともいう)とは、為すべきように覚して知らす導をなす。
一.教えの根源は、愛である。故に教えるものは、常に、あきず、焦らず、腹立てず。
一.教わるものは、逃げず、ひっこまず、言い訳をせず。
以上を絶対に支柱にしなければ教えの実りはない。
『育つ』は、『巣立つ』が元言葉。
『巣立つ』まで手塩にかけることをいうのである。
『手塩』とは、おむすびをつくるときの母の心である。
いかかですか?
『教える』というのは為(な)すべきように、すなわち、「どうやるのか」をしっかりと覚えさせるのですよ!
そのための「知識」「原理原則」「定石」を教えるのですよ! といっています。
『教える人』は、「知る」・「わかる」・「できる」までの指針をしっかり持っておかなければなりません。
長年の経験によって「できる」域にきていても、その理由、理屈を知っていなければ、人を『教える』ことはできません。
ただ「できる」というのであれば、チェーン・ストア業界では、「職人」すなわち「ワーカー」としか見ません。
私は人事制度の中に必ず、内部資格試験や外部資格試験を登用基準に入れることを推奨します。
それは本当のプロであれば、知っていてあたりまえの知識を体系的に理解しておくことが必要だと思うからです。
また学問だけの知識や理論に対してキチンとした反論、批判ができるのもプロだと思うのです。
ですから、たとえば、スーパーマーケットでは「販売士」や「調理師」の資格は取れてあたりまえと考えるのです。
なんだかんだと「資格と実績とは違うんだ」と言ったり、「資格など取らなくったって商売はできる」と言う人がいます。
これは「屁理屈の言い訳」でしかありません。
社長はもちろん、資格など持たなくてもいいのです。
社長は、自分よりも優秀な人財をどれだけ多く得るか、創るかが仕事だからです。
(経営とは、凡人を非凡にすること)
しかし、店長、支店長、バイヤー、スーパーバイザーやインストラクターになる人は、「販売士」や「調理師」などは取っていて当たり前です。
情報システムを構築する人は「情報処理技術者」の資格を取っていてあたりまえです。
難度は別です!
チェーン・ストアを構築してゆくには「職人」はいりません!
大変に生意気な、差別的な言葉を使いますが非常に大切なことなのです。とにもかくにも「勉強する社風」が必要です。
『教える』ということは、大変なエネルギーが必要です。
先ほどの言葉にも「愛が必要、あきず、焦らず、腹立てず」と言っています。
我慢・忍耐が『教える人』には必要なんです。そのために苦労を知っている人でなければならないのです。
『苦労は買ってでもやれ!』というのも至言なんですね。
また、もう一つ、こんな言葉も紹介しましょう。
『学んで足らざるを知り、教えて致らざるを知る』
多くの知識に出会い、多くの成功者から学びますと「本当に何も知っていないなぁ!」ということが分ります。
そうしますと止ることを知らないくらい貪欲に仕事などに関する本をいっぱい読むようになります。
人に『教えて』みますと「本当に理解していないなぁ!」と恥じ入ることがいっぱいあります。
ですから、真実を見ようとするようになります。
私は、この真実を見ようとする姿勢のことを『中心観』といっています。
『中心観』ができますとブレないですね。
『教える』側に立ったときに、「何が正しくて何が間違いかで教えること」と「好き嫌いで教えること」との違いが分るようになります。
意外と公平に公正に『教える』ことができるようになります。
『教える』ことの精神は『手塩』であると最初のことばにあります。
機械でにぎったおにぎりと、手でにぎったおにぎりは絶対に味が違います。
もちろん手でにぎった方が断然にうまいですね!?
他人まかせの『教え』はないよ! という意味です。
ありがとうございました。
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