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新人ビジネス・リーダーいろは講;第40話:『勇気』
『勇気』という言葉をずいぶんと耳にしたり、目にしたり、口にしますね!?
小椋桂さんのCDの中に、題名をすっかり忘れてしまった素晴らしい曲があります。
その歌には小椋さんのナレーションがあります。
今、手許にその詩がなく、非常に印象に残っているところだけなのですが、
「青春とは、わからないことをわからないと言える『勇気』と、・・・」
と文言があります。
私は、ここだけを鮮明に記憶しています。前後の歌詞、メロディーもまったく記憶にない
のです(^^;
多くの人がご存じのサムエル・ウルマンという大変有名な詩人が『青春とは、心の若さで
ある』という詩を残されています。
作山宗久さんの訳です。ぜひ全文をご賞味下さい!
青春とは人生のある期間ではなく、
心の持ち方を云う。
薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。
青春とは臆病さを退ける勇気、
安きにつく気持を振り捨てる冒険心を意味する。
ときには20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。
年を重ねただけで人は老いない
理想を失うとき初めて老いる。
歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ。
苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。
60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、
驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
人生への興味の歓喜がある。
君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。
人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
霊感をうける限り君は若い。
霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
悲嘆の氷に閉ざされるとき、
20歳であろうと人は老いる。
頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
80歳であろうと人は青春にして已む。
そうなのです!
『勇気』と『心の若さ』は、まったく同じことなのです!
私にも皆さんにも、小さかった頃の思い出があるでしょう!?
あの頃の私達はどうだったでしょう?
自分の子供、もしくは身近にいる子供さんたちを見るとわかりますね。
子供たちは、本当に小さな事でも「なぜ?どうして?」と訪ねてきます。
これを『好奇心』といいます。
もしくは、知らなければ「ボク、わかんない!」って、ハッキリ言います。
私は、この素直さこそ『勇気』だと思うのです。
大人に成るにしたがって、だんだんと「わからない」と他人に言うことが『恥』だと思う
ようになります。
本当は勘違いの何ものでもないのですが、「わかりません、教えて下さい!」などをいう
ことが、限りなく少なくなってくるのではないでしょうか!?
ましてや自分の子供には決してそんなこと言えないなんていう人もいると思います。
経営の神様といわれた松下幸之助さんは、どんな小さなことでもわからないことがあると
根堀り葉堀り、相手が嫌になるほど聴いたそうです。
そして必ず、聴いたことをメモされたそうです。
ですから、やはり誰よりも・・・何でも知っていたのだそうです。
松下幸之助翁が自社の洗濯機工場の視察に出かけた時、工場長の説明を受けながら、製造
途中の洗濯機の一点を指さして、
「ところで、このビス1個なんぼや?どこから仕入れてるんや?」
と質問をされたそうです。
そのとき工場長は、おもむろに洗濯機の製造に係わる材料でにあるビスの価格が書かれて
いる手帳を胸から取り出して、ページをめくり始めたそうです。
途端に、松下翁が烈火のごとく、工場長に対してものすごい爆弾を落としたそうです。
笑い話には工場のラインが一時ストップしたとも・・・(^o^)
「なんでワシよりも直接この製品に携わっている者のクセして、材料一個一個の原価を
完璧に覚えておらんのや!恥ずかしいと思わんのか!そんなことで、この洗濯機をもっと
安く作る智恵が出るわけないやないかぁ!」
松下さんは、続けたそうです。
「わからんかったら、わかりませんと言え!手帳を調べるちゅうのは、わからんことと
まったく同じなんや!」
よく考えてみますと本当に松下さんのおっしゃったことは正しいのです。
知っているということは暗記していることで、それ以外は、すべて知らないのです。
知っているつもりなんでしょう。
そんなときは、
「すみません!シッカリ、覚えておりません。お恥ずかしいことです。
ちょっと手帳を調べさせてもらいます!」
とあらかじめことわっていれば、もしやすると叱られなかったのではと思います。
私たちは扱っている商品の売価、原価、製品のすべての材料原価をどれくらい覚えている
でしょうか?
商品の色々な特性などの「商品知識」を知っていたら、お客様・お得意先様に対しても、
仕入先との商談にもすごく役立ちますよね?
でも皆さんは、どれくらい知っていますか?
皆さんの回りには、自分よりもたくさん「知っている人」「できる人」がいるのではない
でしょうか。
たくさんの知識、経験則、原理原則、定石を自らの身につけるためには、人に教えていた
だくことが最良の近道ですよね!?
ですから素直に、そして謙虚に知らないこと、出来ないことを教えていただけるように、
「すみません。教えて下さい!」
と『勇気』を持って、人に接しすることができることは、非常に取り早いことなのです。
『一流』と言われる人ほど、誰よりも『人に聴く』スピードが早く、多いものです。
私は冒険をするときにのみ使うような『勇気』は、ただの『度胸』に過ぎない思います。
スポンジのように色々なことを吸収しようとする『好奇心』、『心の若さ』、『勇気』、いつ
までも忘れないようにしたいものですね。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第39話:『危機感』
『危機感』についてお話しします。
私のつたない人生経験です。
出会った多くの尊敬する人達が、共通に持つ特性というようなものがあります。
それは、物事を真剣に考える姿勢です。
どこから、その真剣さが来るのか探ってみますと・・・必ず彼等の持つ『危機感』が根底
にあることを発見します。
彼等は確かに、周囲の人に対しては和やかな表情を崩しませんが、内に秘めるものはそん
なものではありません!
たとえば最近では十代のアスリートの面々、将棋界の藤井さんです。
ワイドショーなどでのインタビュー中での、彼らの笑顔は大変すがすがしいものです。
しかし、試合前から熱戦中の彼の、厳しい顔の表情はまるで違います。
集中力といい闘争心といい、ものすごい迫力を感じます。
スポーツの世界のみならず、どの世界においても一流といわれる人達の、仕事に取組む
姿勢は心を打たれるものがいっぱいあります。
私は経営の世界などで一流の実績を上げておられる方々とご縁を頂戴させていただいて
おります。
彼等と真剣な語り合いをさせていいただきますと必ず共通する答えが返ってきます。
どの人もこれからの世の中がどうなるかということに、ものすごい興味を抱いております。
その興味で先々を見てゆきますと、どうしても
「このままでいいんだろうか?」
「これから、こんなことをしていてはダメだなんだよなぁ~!」
といった『危機感』をいっぱい口に出されます。
「こうあるべきだ!」などという、まさに評論家タイプ発言でないのが実務家の一流人の
言葉であることに気づきます。
この『危機感』が、彼等にとって次に『緊張感』をもたらします。
それが、普通の人とは違う物事に対する真剣な取組み態度となって顕れます。
そしてますます、取組みの精神的緊張度が高じてきますと『集中力』が湧いてきます。
専門家はこの状態の脳波がα波だと言います。
このα波を外から入れようと、変な機械を購入する者がいます。
若い方々にはおわかりにならないでしょうが・・・その最も有名なアホなことやってたの
がオーム真理教のヘッドギアではないでしょうか?
もしくは、耳からα波を促す周波数の音を入れれば同じ様な効果があるんだと言って機器
を売っている人もいます。この機器の推薦人にコンサルタント会社を日本で唯一上場させ
たと自慢している、そして巧みな出版をすることで有名なコンサルタントがいます。
不思議なことに、このコンサルタントの推薦するいろいろな発明紛いのものが急速に普及
することがなかなかありません。
本来「本物」と言うのは、コマーシャルをしなくても爆発的にクチコミによって広がるも
のです。
大変に大それた言い方をしますが、大学受験用・資格試験合格用に売り出されていました
あんなもの(ヘッドギア、α波促進音響装置)で集中力が湧くんなら、受験生は誰でも
東大クラスの大学に行けるし、司法試験も簡単に受かりますよね!?
しかし絶対そんなことは起こりません!
ということは、あれは”ハッタリ”であると気付かねばなりません。
まったくオームの連中と比べて五十歩百歩なのです。
注意して下さい!
やはり『集中力』を誘発させるのは本人の『真剣さ』、すなわち『緊張感』にほかなりま
せん。
この『緊張感』は、常に今の環境と自分の状態を素直に対比させることです!
そして「このままではイカン!」と自身に言い聞かせる姿勢が芽生えてきます。
これを『危機感』というようにします。
『危機感』は、全身をものすごく「敏感」にさせます。
目に見えないアンテナを体のあちこちに張りめぐらします。
どんな些細な事も取り込もうとします。
それが「ボキャボラリ」として、たぶん脳だろうとは思うのですが蓄積されてゆきます。
潜在意識のすばらしいところなのですが、真剣な物事への取組みによって365日24時
間寝ていても思考を補完してくれます。
突然に、閃くことがあります。
不思議と、そのときは大変に心地好いものです。おそらく「悟り」というのがそんな境地
じゃないかと思ったりします。
ですから閃く経験をした人は、もう一度、同じ快感を味わいたくなるのではないでしょうか!?
お釈迦様が出家を決意したは、自分のエゴでの解脱を目的にしたのではなく、衆生の救済
について『危機感』を感じたからと私は信じております。
お釈迦さまが涅槃に入られてから後、何百年もの間、小乗(自分だけの悟りを目的とする
教え)でしたが、脈々と流れるお釈迦様の本心は発現して現在に至っていると信じており
ます。
ですからオームの誰かさんとは発心がまるで違う訳です。
さあ、ぜひ自分の身の回りの環境を真剣に考え、これからの自身の身の振り方を想って
下さい。
そして、一流人との触合える所まで一緒に行きませんか。
一流人には、ちょっとした努力で成ることができます!
それは、『危機感』と『緊張感』と『向上心』が芽生えた時です。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第38話:『雑魚』
『雑魚(ザコ)』というのは、ご承知のように小魚のことを言います。
小物のことでもあります。
よく「プロ」とか「アマ」とか言いますが、本当の意味を知っておきましょうか・・・。
まず「プロ」というのは、漢字で「玄人」と書きます。
「玄人」は「苦労した人」を早口で何度か言いますと「クロウト」と聞えますから、まさ
にピッタリの意味です。
もちろん、ただ苦労しただけでは「プロ」ではありません。
その前のステップをきちんと這い上がってきている人なのです。
「プロ(玄人)」というのは、かつては「アマ」であったことが必要なのです。
「アマ」というのは、漢字で「素人」と書きます。
「素人」というのも、同様に「知ろうとする人」を早口で何回も唱えますと「シロウト」
になります。
「プロ」になる人は、すなわち苦労した人はみんな、「シロウト」からスタートしており
ます。
「プロ」、すなわち「玄人」を目指す人は、多くの知識や技能・技術を体得してゆく人です。
「大きな実現可能な正しい夢」を持っている人です。
こんな人のことを「ロマンをもった人」、そう「ロマンチスト」と呼びます。
誰でも「プロ」になる素養はあります。
ただ「大きな実現可能な正しい夢」を持つに至らないため、能力を活かせず人生を終わる
人が多くいます。
最初の「決意」をすれば、その「夢」の実現のために「知らないこと」「出来ないこと」
を、知ったり、出来るようになるため努力をします。
「努力」という言葉も、めったに使うべきではありません。
読んで字のごとく、
「女のマタに力を入れて、それよりもっと力を入れろ!」
と訳すなら、女性がお産をする時以上に苦しいことをやることとなります。
「プロ」は、目標を何としてでもクリアするために貪欲に「知ろうと」します。
そして、自分のものにするために失敗を繰り返しながら苦しくてもやらねばならないこと
をやり続けます。
はた目にも凄いエネルギーを感じます。
どうしても、先輩や上司も手を差し伸べたくなります。
ましてや、同じプロセスを経てきた先輩などは、自分の生き写しを見るような感じで、
ホノボノとした気持ちになります。
だから、心底から手助けしようとします。
「アマ」である「知ろうとする人」はとにかく素直です。
多くの人から「学ぼう」とします。
「学ぶ」は、「まねぶ」そして「まねる」が元言葉です。
「まねる」ことには力みがありません。早く形ができあがるものです。
しかし「アマ」にもならず、もちろん、「プロ」にもなれない人には共通することがあり
ます。
成功したり、うまくいっている人のことを妬みます。
週刊誌のスキャンダラスな記事が最もよく読まれる理由もその妬みにあります。
有名人のアラ探しをして、宝も物を拾ったようになる人のほとんどは「プロ」にも「アマ」
にもなれない人です。
大変に残念ですが、努力を放棄した人は、とかく同じ類の者だけで集まり、一人では何も
できないのに集団になると元気づきます。
そしてお互いに励ますのではなく、「傷の舐め合い」をします。
自分たちがうまくいかない原因をすべて外に向けます。
「人のせい」「社会のせい」「会社のせい」「上司・先輩のせい」、はたまた「親のせい」
にまでなってしまいます(^^;
悪いのは全部、自分以外です。
このような人達を私は『雑魚』と呼びます。
もちろん軽べつした呼び方ですから、お叱りを受けるでしょう。
かなりひんしゅくを買うことは覚悟です。
しかし決して差別している呼び方ではありません。
五体満足なのに「不平・不満・グチ」を言う人の言は、能力の無い者の「ホザキ」だと
思うのです。
力があれば人を説得できます。
人を動かすことができます。
「お金のある人は、無い人や困って入る人に施すこと」ができます。
同じように能力のある人、幸せな人は「人に施し」をすることができるのです。
「力の無い人」や「困っている人」が、「施し」などできっこないのです。
だから、オウムなどはおかしいのです!
「他力本願」「世の中をマイナスに考え」「集団でしか、ことが成せず」にいるような
人を『雑魚』と私は呼びます。
ここで読むのを止めないで下さい!
魚の世界では早く、「幼魚」から「成魚」にならなければ、大きな魚に一気に呑み込まれ
てしまいます。
大きく見せるために「樹上開花(中国戦略書三十六計)」をします。
当然です!
自然の摂理でDNAがそうしているのでしょう!?
人間は大人の感覚を持つようになったら、あらゆることが「自己責任」となります。
もちろん群れるなと!は言っておりません。
自分で考え、自分で責任を取る行動をすべきです。
そこに手伝ってくれる人や共鳴して一緒に行動を共にする人がいることは勇気を持つこと
ができます。
今、自分がどんな「気分」「感情」でどんな人たちと一緒にいるのか見渡して下さい。
お互い「叱咤激励」しているなら素晴らしい仲間と歩んでいます。
でも「傷の舐め合い」「グチばっかり」「人の悪口ばかり」なら、怖がらないで、勇気を
持って違った場所に出て来て下さい。
必ず、手を差し出してくれる素晴らしい仲間がいます!
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第37話:『挨拶』
『挨拶』についてお話しさせていただきます。
非常に重要なことなのです。
なぜかといますと世の中で一応うまくいっている人と、そうでない苦労の多い人とでは
どこが違うか考えて見れば、その意味が分ってきます。
『挨拶』の「挨」とは、心を開くという意味があります。
そして「拶」は、相手に迫るという意味があります。
ですから『挨拶』とは自分のことをオープンにし、素直になって、色々な人に接してゆく
ことと解することができるのではないでしょうか。
私は、多くの方々とお付き合いさせていだく仕事をしております。
もちろんスーパーマーケットなどの小売業におられる皆さんも不特定多数のお客様と接す
る機会がありますから、人との接する数では圧倒的に今の私に比べれば多いといわれても
結構でしょう。
私ははじめての人と一度会う機会ができたら、その後もズッと手紙やハガキでの交際の
続く方が相当います。
もちろん、たまに会うことも意外と多くあります。
残念ながら多くの人は、一回ポッキリの出会いがほとんどではないでしょうか!?
その理由はもちろんあなたにあります。その人と今後もお付き合いしてゆきたいとういう
願望があるかないかですね・・・!?
出会いを大切にできない人は、いつも心の中で会う人と「対等でありたい」というエゴが
働くからだと思います。
「自分の方が偉く、優位でありたい」と思ったり、「その人に迎合なんかしたくない」と
か「負けたくない」とか、不思議なくらい間違った人間観を持っているからではないで
しょうか!?
吉川英治さんは、『人皆我師』とおっしゃっています。
禅宗の大家の道元禅師は、『脚下照顧』とおっしゃています。
どちらも
「良く考えなさい、世の中は自分より優る人ばかりいますよ!もっと素直に周囲の人から
いっぱい学びなさい!」
と言っておられるのだと思います。
『挨拶』の基本は、「多くの人から学ぶぼうとすること」でしょう。
そのためには、「一期一会」を大切にし、その時、その時に会う人と良好な関係になるべ
く「笑顔」で「先手」で「こちら」から「進んで」「言葉」を「交わし」にゆくことだろ
うと思います。
はじめて会ったその時から、もしやすると生涯の友や師にめぐりあうことにもなるのです。
そのように出会った人が恐らく、不思議なくらい自分の困っている時、手を差し延べて
くれるものです。
もしくは、その人がもっと多くの人を紹介してくれます。
そして知らず知らずに沢山の友人、人生の師を持つことができるようになります。
『挨拶』って、どう考えても「コストがゼロ」なんですね!?
コストがゼロで、多くの人脈という財産を持つことができるということは、コスト分の
財産で考えたら「無限大の価値」となります。
このことを「御利益〈ごりやく〉」と言います。
残念ながらごくたまに、久しぶりに出会っても「知っていて、知らない振りをする人」が
いますね(^^;
こちらから「こんにちは!」って言おうと思うのですが、スーっとあっちを向いてしまう
人がいるのです。
恐らく、自分の好き嫌いで人を区別しているのでしょうか?
もしくは恥ずかしいのでしょうか?
わかりませんが、他の人に対してもそうなんじゃないかなと思います。
もし何かあったら、どんな人に助けてもらえるんでしょう?
こんな人に限ってうまくいかない時、「他人のせい」「社会のせい」などの言い訳をする
ことを見受けることが多々あります。
また、こんな人ほど「差別意識」が高いのにも驚かされます。
以前、あるスーパーマーケットでの店舗クリニックの時でしたが、入社してまだ数年の
一般社員が私に
「うちの部長はオレに挨拶をしないんです!」
なんて不平不満を言ったのです。
もちろん、その人はまもなくして退職しましたが・・・。
彼は、自分から先手で『挨拶』をしない新人でした。
優秀な人でしたが・・・。
おかしな社会的に認められるはずのない社外の組織に入り、仕事そっちのけで、その組織
が勧める物品を売ろうとしました。
そう『ネットワーク・ビジネス』=『マルチ商法』に入ってしまったのです。
本当に残念でなりません(^^;
そのために職場で浮き上がってしまいました。
もちろん本人は、そのことが解りません。
彼はますます昂じてゆきました。
職場の上司や同僚など周囲の人が「オレに挨拶をしない! なんてヤツラだ!」と勘違い
するようになりました。
自分の能力を発揮する、能力を磨くために多くの先輩や上司や師に出会うことがなければ
「花開く」に至りません。
『挨拶』は、「先手」で「グッと接近して」やって見て下さい。
保証します!
そんなに遠くない将来、「良かった」と心から思える時が来ます。
ありがとうございました。
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新人ビジネス・リーダーいろは講;第36話:『出会い』
『出会い』、『一期一会』という言葉についてお話させていただきます。
皆さんは、今までの人生でどれくらい貴重な『出会い』がありましたでしょうか?
もちろん、いっぱいおありだとは思います。
私事で申し訳けないのですが、私の素晴らしい『出会い』の話をさせていただきます。
私が社会人となった第一番目の会社での『出会い』の話です。
富士通という当時コンピューター・メーカーでは日本一の会社でした。
私が配属された部署には、学者になってもおかしくない人達がいっぱい周囲におりました。
ですから、私にとっては毎日が啓発させてもらえる人との『出会い』ばかりでした。
特にその中でも、ある先輩との『出会い』は、私の人生観を変えるものでした。
もちろん、人間観をも変えていただくものでした。
彼は、日本の最高学府の理学部数学科の修士過程を修了した人でした。
非常にユニークな人でした。
趣味と実益を兼ねて競馬の予想を得意にされておりました。
有名競馬新聞の予想コラム、常連執筆者でもあり、そこからアルバイト料を稼いでいる
人でした。
そのアルバイト料の方が、本業の月給よりも多いんですから・・・。
彼は合気道四段、剣道三段、将棋四段、囲碁五段と、まあすごい多趣味の持ち主でもあり
ました。
小説も書いておられましたし、ピアノ、ギターも玄人はだしでした。
世の中には、こんな人がいるのかと思われるでしょうが本当に実在するのです。
私にとっては、ただただ憧れと尊敬を通り越したような人でした。
私は、彼から基礎数学を教えていただきました。
苦手だった数学を本当に上手に教えてくれました。
おかげで数学の面白さを知り、人並みか、それ以上の理解をすることができました。
もちろん、時には厳しく教えていただきました。
しかし振返ると本当に暖かい教え方でした。
いつも、深く追及してゆくクセをつけるように導いてくれるのでした。
いつしか、数学にのめり込むようになっていた自分を発見することができました。
心から彼を尊敬し、いつしか恩返しのできることがあればと思うようになりました。
そんなある日、彼がこう言いました。
「藤本くん!人から受けた恩を普通の人は、恩を与えた人に返そうとするよね?でも人類
生成発展の理っていうのがあってねぇ!
受けた恩は次に続く後輩・後進に伝えてゆくことだけで恩返しをしているんだよ!」
「もし君が、数学を教わったことやいろいろ奢ってもらったと僕に恩を感じるとしたら、
今度は自分の持っているすべてを後輩や後進のために放出するんだよ。それが、僕に
取って一番うれしいことなんだぁ~(^o^)」
「得たものを放そうとしない、取られたくないといった気持ちを、残念ながら普通の人は
持つってしまうんだねぇ。
でもそれでは器は大きくならないよね!?コップにいっぱい入った水と同じくらいの
量の水をそのコップに入れようとするなら、どうすればいいと思う?」
「答えは簡単なんだよねぇ!コップの中にある水を全部、投げ出せばいいんだよねぇ。
そうすれば新しい水をまた入れることができる・・・(^^)」
私はあの時、体中に電気が走るような身震るいする感動を覚えました。
あの時から、本当に私の人生観は変り、生きざまが変ってゆきました。
仏教の教えに「布施行」というのがあります。
まさに自分の得た知識や経験を後輩・後進に伝えてゆくことこそ「布施行」ではないで
しょうか!?
ヘンテコリンな新興宗教で、出家の時、全財産を宗教団体に布施する(実際には没収され
るだけ)ことが最高の美徳とすることが、どれほど間違っているかわかるでしょう。
お陰様で、なんとか今まで彼の教えに少しでも近づくようにやってこられたように思います。
「学んで足らざるを知り、教えて至らざるを知る」
ということわざ通り、ますます、自分の未熟さと学ぶことの大切さを理解できるように
なりました。
「教えられ」、そして「教える」関係を継続しつづけることを念頭において生きてゆきま
すと、不思議なくらい多くの素晴らしい『出会い』があります。
多くの師と仰げる方々との『出会い』と、その後の『お尽き合い』によって、私は「私の
知らないことを知っている人」「私のできないことのできる人」といった人脈が増えて
ゆきました。
ご紹介したその素晴らしい先輩との『出会い』が、私にとって人生の転機になったことは
間違いありません。
『一期一会』という言葉は、『出会い』による発見・救い・縁(えにし)のあることを
示唆しているようです。
今回、新しく知り合った仲間を幾末永く大切にしていただきたいと思います。
ありがとうございました。
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