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新人ビジネス・リーダーいろは考;第44講:『非情の情』
第44講:『非情の情』
『非情の情』という言葉があります。
読んで字のごとしです。
「情け容赦のない、傍目に見るとひどい導き方、厳しい教え方なのですが、本当は最も 情のあること」をいいます。
決して、狂気集団:オームのような修業ではありません。
くれぐれもご注意下さい。
私事で恐縮ですが、母が亡くなった時のことです。
亡くなる一ケ月程前に、母と一緒に父のお墓参りに行こうと約束をしていたのですが、残念ながら母はそのままお墓に入ってしまいました。
初七日の日、法要が午前中に終わったものですから、一人で母の供養も兼ねて京都の北部のお寺参りをしました。
金閣寺から始まって、周辺の観光コースになっているお寺を順にレンタ・カーで回りました。皆さんもご存知の大覚寺では、時間もありましたのでお写経をさせていただきました。
その次に念仏寺にもいきました。
本堂の開けられている扉の左側に目を止めますと、次の言葉の書かれた紙が貼ってありました。
わらわれて、わらわれて、かしこくなるんだよ
しかられて、しかられて、じょうずになるんだよ
たたかれて、たたかれて、つよくなるんだよ
実は少しこの詩に私が手を入れておりますが、こんな言葉が目に入ってきまして、少しの間、そこにくぎ付けになっておりました。
少し感傷的かもしれませんが、
「ああ、これは母が私に贈ってくれた最後の言葉なんだ」
と素直に受け止めることができ、しばらくジーンとなっておりました。
人は「笑われたくない」、「クドクドしかられたくない」し、もちろん「たたかれたくない」っていうのは本性ではないでしょうか?
ですから、そんな場面に遭遇したら、どうにかして逃れようとするんではないでしょうか!?
しかし物事がなかなか上達しなかったり、頭角をあらわさない人のほとんどが「笑われたくないない」から、「恥をかきたくない」から思い切ったことをしようとしません。
「チャレンジ」する「勇気」を持ち合せていないようです。
「しかられたくない人」は、どうも教えられても判った振りをしたり、最初に言い訳をしたりします。
「たぶん、こういう場合はダメだと思います!」
なんて言うのです。
「叩かれる」ことは、もちろん誰も嫌がるでしょうし、本当に叩くことは、よっぽどでない限りやれば暴力になります。
でも出る杭はたたかれるという場合は、本当に邪魔をされたり、陥れられそうになったりすることです。
もちろん、これは人のやっかみや嫉妬から起こります。
それでも負けずにシッカリやれば、「出過ぎた杭は、打ってもうまく打てない」結果に終わることになり、こんどは、打たれようとする人に対して打とうとする人は畏怖するようになります。
『わらわれて、しかられて、たたかれて』をいきますと、そばで見ている人はもとより、実際にやっている人ですら「こんなに頑張る奴なら、ちょっと手助けしてやろう!
手を差し伸べてやろう!」という気持ちにさせます。
『非情の情』は、先ほども書きましたように、一見ひどく見えても本当のところは愛情が存在し、結果として情のあることをいいます。
『非情』に徹する一例に私が過去にやった「行動訓練」というのがあります。
60歳を期に、免許皆伝した人たちにすべてやっていただいております。
大変に厳しい訓練ですので、今は「パワハラ」で訴えられるのでやっていないようです(^^;
訓練の冒頭から「罵声」を浴びせかけられます。
しょっぱなから、柔な訓練生の何人かは「過呼吸症候群」になったり、涙をこぼしたりします。
訓練生は教官を「生まれて初めて出会う意地悪な奴」と思い込んでしまうくらい憎く感じます。
しかし、一つ一つの訓練で合格をもらった時の教官の目は違うのです。そこには『本当によくやった』という心からの誉めと、『よくやれたなぁ~』という敬服と、『有難う』の感謝が目に表れています。
もちろん、『ごめんよ!』というお詫びの目もあります。
仕事も先輩の心構えでぜんぜん違ってきます。
甘やかされてダメになる人の方が、厳しくされてダメになる人より、はるかはるかに多いのです!
『厳しい、情け容赦のない先輩』の方が数年経った時に違いが分るものですね。
ありがとうございました。
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