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新人ビジネス・リーダーいろは考:第23講:『無知の涙』

新人ビジネス・リーダーいろは考:第23講:『無知の涙』
初っぱなから、嫌なお話しをします。
団塊の世代の方々には記憶に残っている人が多いと思います。
『無知の涙』という本が絶版になっています。
1968年10月から11月にかけて連続ピストル強盗殺人を起こした犯人(永山則夫)が執筆しました。
既に、彼は死刑執行をされています。
彼は獄中で改悛しました。
その時、書いた本の題名がこれです。
決して私は彼を支持するのではないのですが、彼の生い立ちが悲惨な犯行の一因になったことは事実です。
ヨーロッパに行きますと、ジプシーと蔑まれている人たちがいます(もしかすると日本で差別用語として使うことが禁じられているかも知れませんがお許し下さい)。
放浪する人たちと広辞苑には出ていました。
彼らも産まれてから物心がつくとすぐに、親兄弟から「置き引き」「スリ」を日常の生活として教えられ、身につけさせられます。
もちろん、学校にも行きません!
行かせてもらえないと言った方がいいのでしょう。
日本人観光客、いまは中国人や東南アジア富裕層観光客がカモらしいのです。
私の友人・知人も、ドイツ、フランスで悲しいかなカモになっています。
彼らはややみすぼらしいですが、欧米人特有の目鼻立ちが整ったきれいな顔をした女の子、男の子が観光地のバス駐車場や写真スポットに待機しており、観光客が降りてきましたらワッと集まってきて、何か話してきます。
だいたい新聞を持っています。
それも集団で、その後ろに彼らの手引き人の盗人が、彼らの獲物を預かってズラかるよう組織化されています。
彼(永山則夫)の生まれ育ちもジプシー同様、差別に満ちた環境にいたそうです。
親からの愛情は微塵もありませんでした。
幼少の時から、悪さをすることだけ躾けられました。
挙げ句の果てが、横須賀のアメリカ海軍基地から盗んだ拳銃でタクシー運転手や民間の人たちを7人も立て続けに殺しました。
最高裁の判決理由には、
「永山が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、同じ条件下で育った他の兄たちは概ね普通の市民生活を送っており、また上京から3年以上社会生活を送った後に保護観察措置を自ら拒否して逃避した末に連続殺人の犯行を犯していることから、生育環境の劣悪性は4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できないと判断して死刑判決が確定した」と書かれています。
『無知の涙』には、「知らなかったがために尊い命を軽んじた」ということが面々と綴られていました。
決して、罪の軽減を願って書いたのではないようです。
自戒の念で書かれていました。
彼は獄中で死刑執行までに多くの作品を発表しております。
なんと1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞をしております。
実は、私はその本を買って熟読したのではありません。
本屋でチラッと立ち読みし、後に、その本の評論を読んだだけなのですが強烈な印象が残っております。
彼は大変な罪をしでかしてしまいました。
やはり「無知」であったがために自身も涙し、それ以上に多くの人々の涙をつくってしまいました。
結論は「無知」であることが「罪」なのです!
もちろん遺族の方々の心情に立てば許されないことは確かです。
私たちは社会生活を送っています。自分だけの世界ではありません。
人間ですから、人と人との間に生きています。必ずルールが存在します。
このルールは誰がつくったのか?と考えますと自分ではないですよね!?・・・周囲の人でもないですよね!
だいたい昔からあるはずなのです。それにチョコチョコ加筆訂正・修正されてきたものに違いがありません。
そうなのです!
ルール・規則・マナーは昔からあるのです。憲法や法律のことをいっているのではありません。
社会生活上の当たり前のルール・規則・マナーです。
日本では「行儀作法」と言います。
西欧では「エチケット」と言います。
まったく同じ意味と考えます。ただ「作法」は「形」から入り、「心」を知るもの、「エチケット」は「心」から入り「形」をつくるものと私は解釈しております。
ルール・規則・マナーは「知って」おかねばならないものです。
もちろんマニュアルを読んだり、規則集を読んだりすべきとまでを言うつもりはありません。
見よう見まねでも覚えるべきものです。
実はもう一つ、皆さんにぜひ覚えて欲しいものがあります。
それは仕事や物事をやってゆく上での「原理・原則」「定石」があるということです。
皆さんは何事も「一所懸命」「一生懸命」がいいと思っていますよね!?
これは間違いではありません。
でも、「一所懸命」とか「努力する」にも「やり方」があるのです。
「知ってやる」のと「知らないでやる」のとでは成果や結果は雲泥の差なのです。
もちろん効果の出るスピードも桁違いなのです。
世の中で成功している人たち、うまくやっている人たち、熟練している人たちは間違いなく、私たちとは「違ったなにか!」を知っていて、それが「出来る」レベルになっています。
この「違ったなにか!」を知ることが秘訣なんですね!
この「違ったなにか!」のことを「原理原則」「定石」ともいうのですね。
私は経営コンサルタントとして、経営上の「違ったなにか!」を見つけ、教える仕事をしております。
また人事教育訓練を行う上でも「成功の秘訣」をコーチィングしております。
本題は「無知の涙」なんですが、「知らぬが仏」という言葉が対にあるのはご存じですね!
広辞苑では「知らぬが仏」という意味は、
「知ればこそ腹も立つが、知らなければ仏のように平穏な境地でいられる」
「転じて、当人だけが知らずに平気でいる様をあわれみ、あざけっていう言葉」
となっています。
私たちは意外に「知らぬが仏」になろうとしながら生きているようです。
恐らく潜在意識がそうさせているようです。
でも「知ればこそ、なるほど!」の生き方があります。
ですから、逆に「知らなければ、無念・後悔」なことがいっぱいあります。
このことを「無知の涙」と理解しましょう!
話がそれてゆきますが後で戻ってきます。
私は成功している人たちの言動を観察するのが仕事の一つです。
彼らに共通するものがあります。
たくさんある中のいくつかをお話しします。
第一番目はなんといっても「プラス発想」なんですね!
「ポジティブ」ともいいますね!
見方によれば「楽観的」に見えます。
「プラス発想」の本質は、「必ずなんとかなる」という考えです!
何をやっていても壁にぶち当たることがありますよね!?
私たちはその時、遠くから「壁」や「断崖」を観ていることがあります。
この状態を「先見」ともいいます。
人間だけに与えられたもの凄い能力なのですね!
前頭葉にその能力があると聞きました。
他の動物にはないのだそうです!
私は人を叱る(けっして怒らないですよ!)とき、「バカぁー!」ということがあります。
「馬鹿」と漢字で書きますよね!「馬と鹿」と書くのには理由があります。
「馬や鹿」は明日の献立など考えません!
もちろん、直接聞いたことはありませんので不確かですが間違っていないようにも思います。
「人間以外の動物」は、ズゥーっと先を読んだり考えたり出来ないのですね!
「先見」することができないのです。
文明の発達も先を考えて、いろいろな手だてを創り出してきたものです。
「進歩」は「先見」から起こったはずです。
歴史認識なんかはやはり、
「if?」
「その時、当時の人は、何を先々に考えたのだろう?」
から入るべきだと思うのですけれどね!?
さて少し「えげつない話(関西弁です)」をしてしまいます。
私はよく「中途半端に頭のいい人」の話をします。
どんな人かといいますとやはり「頭がよい」のですね!
ですから普通の人より先を読むことが得意なのです。
大変にいいことなのですが「中途半端」なのです!
概して、彼らは「やはりもうダメだ!」と早く考えてしまったり、要領よく「最初から手を抜く」ことを覚えてしまいます。
本当は「頭が良い」のですから、できるはずなのですが簡単に「あきらめ」たり「手抜き」をしてしまうのですね~(^^;
残念ですね!
先ほどの「壁」や「断崖」のところに戻りましょう!
「中途半端」でなければ、その下まで行くのですね!
そうすると、そこには裏道があります。
鎖や足場までつくってある。
なぜなら、先人先達が既に来ているからなのです。
「原理・原則」「定石」が書き記してあったり、言い伝えられているのです。
そこまで行けば教えてもらえるのです。
行かない人のほとんどが眺めただけで「痛み」や「大変さ」を感じるのでしょうね~?
本当はもっと上に行けて、展望の素晴らしい場所にたどり着くのですが・・・?!
「勇気の一歩」を持って行動するだけで、「無知の涙」をこぼすことがめっきり減りますね!
ありがとうございました。
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